2014年/人生最悪の体調不良


              

2014年は、私のこれまでの人生の中で、最悪の体調不良に見舞われた年でした。
春から秋にかけて、まるで
自律神経のウルトラ・スーパー失調症のような症状に苦しみました。
ホントに最悪でした。
十二指腸腫瘍切除の大手術をした2012年よりも、うんとひどかった。

実は、ホームページのためにこの記事を書いているのは2015年10月です。
なので、もう随分回復した後から、1年前のこの悲惨な状況を回顧するという形になります
(当時は冷静にこんな文章を書こうなどという気にもならないくらいしんどかったです)。

結論から先に述べておくと、この年に襲ってきた人生最悪の体調不良の原因は「
ベンゾジアゼピン」だと思われます。
実は、数年前から「ベンゾジアゼピン系」の眠剤を服用していました。
「数年」なので、これはもう立派な「長期連用」になると思います。
100%絶対確実とは言えないのですが、しかし私には8割9割
これが犯人であると思われます。
以下、少し長い記録になりますが、このことを念頭にお読みいただければと思います。

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2014年2月末  異変のはじまり                  .

異変」は、2014年の2月の末から突然現れました。

四肢(特に両足)が、ひんぱんにブルブルっと震えるようになったのです。
手足のピリピリ感もあります。さらに全身の倦怠感が出始めました。
最初は、たちの悪い風邪でも引いたのか、と思ったのですが、体温などは全然正常です。
それでも薬屋さんで買った風邪薬などを飲んで様子を見ました。


3月初めから約3週間、いつものように南仏のロマネスク巡りでした。
こんな体調で行けるかな、と思ったのですが、航空券もホテルもすべて手配済み。
いまさら中止するわけにもいかず、まぁなんとか治まるだろうと思って出発しました。

パリまでの飛行機(JAL)は、幸いにしてマイルを使ってアップグレードしたビジネスクラスだったので、
行きはほとんどフルフラットにした座席で横になって寝っぱなしでした。
こんな時は、本当にフルフラットの座席はありがたいと思います。
しかし、ビジネスクラスのおいしい機内食も、アルコール類もほとんど手を出せませんでした。
パリまでほとんど寝たきり状態でした。

この時は南仏アルデッシュ県を回りましたが、最初の頃はやはり全身の倦怠感、手足のピリピリ感やこわばり感があり、
朝ホテルを出る時にも、出発がおっくうで、いつまでもベッドにいて
「さぁ、無理矢理でも行くかっ、どっこらしょ」みたいな感じで一日を始めました。
体温はなぜか35度台と低い状態が続きました(もともと平熱は36度ちょうどくらいと低め)。

この時の体調不良感は、そのあと数日かけて次第に軽快しました。
毎日10カ所とか15カ所とかをハードに回りながら体をガンガン動かしていたのが良かったのかも知れません。
夕食時のワインも復活しました。
その後、フランス滞在中も調子はさほど悪化せず、
帰国してしばらくしても旅行疲れと時差ボケを除くと、体調はまあまあでした。
「どうやら、あの奇妙な体調不良は、結局単なる一過性のものだったんだ」と思いました。

これは
とんでもない間違いでした。


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4月末  体調不良の再発                       .
突然再び体調が悪化しました。
フランスに行く直前の症状の再来です。
ひどい風邪を引いたような
全身の倦怠感、脱力感、上半身ののぼせ感、手足のピリピリ感など。
食事の後などに、急に
発汗したりもします。
またいわゆる「
冷えのぼせ」というやつでしょうか、
胸から上あるいは首から上はのぼせて熱い感じがするのに、下肢(足)が冷えます。

女性の「冷え性」ってこんな感じなのかなと思ったりしながら、
職場である研究室では、足もとに電気ストーブを置いて足を温めました。
女性用のヒートテックのレッグウォーマーを買ってきてはいたりしてました。



5月上旬  五里霧中                         .
この自律神経失調症的な不定愁訴がずっと続きました。
大学でも、なんとか気力を振り絞って教室に行って授業をして、
研究室に戻るとソファーにグッタリ横になってしまいます。
この症状を、うまく適確な言葉で表現できないのがもどかしいのですが、
体は相変わらず
ひどい風邪のようにグッタリです。
手足や体の芯が、腫れぼったくシビレるような感じがします。
低電圧の弱い電流が流れているようなシビレ感です。
頭のノボセ感・熱感、手足の震え(ワナワナする感じ)もあります。
体温は、いつ測っても相変わらず36度台前半の平熱でした。


自分でもこうした体調不良の症状についていろいろ調べ、分析しました。
さしあたって考えられる原因は、以下のものでした。

  ●消化器の腫瘍摘出手術による後遺症。
    とりわけ胃切除後の「後期ダンピング症候群」といわれるもの。
    急激な低血糖状態に陥る。
    頭痛や倦怠感、発汗、めまい、呼吸の乱れなどが現れる。
  ●同じく、消化器の腫瘍摘出手術による「ビタミンB12欠乏症」。
   「悪性貧血」とも言い、手足の神経のシビレなどの神経障害が出る。
  ●男性更年期障害

「ダンピング症候群」については、自分の体調不良症状が「食事」とは
まったく関係なく現れることから、これは違うと思いました。
実際、低血糖状態かと思ってアメなどをなめても改善しません。

「ビタミンB12欠乏症」についても、病院の血液検査では「ビタミンB12」の値はまったく正常で、
貧血にもなっていないと言われました。
もちろん血糖値も正常です。白血球や肝機能、その他の通常検査項目も異常なしです。


5月中旬  男性更年期障害?                     .
したがって、この時点で一番考えられるのは「
男性更年期障害」(LOH症候群)でした。
「更年期障害」と言えば、普通は女性に現れるものですが、
最近では男性にも同様に見られるものであると言われています。
自宅近くのかかりつけの内科クリニックで、とりあえず血液検査で「
男性ホルモン
(フリー・テストステロン/遊離テストステロン)の数値を調べてもらいました。
結果は「
少し低めだけど基準値の範囲内であるので、特に治療を開始する必要はない」とのことでした。


5月下旬~7月上旬  つかのまの平穏期間               .
この時期は、症状が少し軽くなりました。手足のしびれ感は少しあるものの、
頭のほてり感、虚脱感、脱力感、風邪の様なグッタリ感は少なくなりました。
やれやれ、やっとおさまった。いったい何だったのか? 
「中年オヤジの5月病だったのかな~」などと、家内にも軽口をたたいたりしていました。


しかしやはりこれは
とんでもない間違いでした。



7月中旬~下旬  またまた体調不良の再発               
.
7月半ばから、
いきなり突然また体調が悪化しました。
症状はこれまでとほぼ同じです(しかし程度はひどくなっています)。

 ●ひどい風邪のようなダルさが続く。
 ●全身の脱力感・虚脱感・倦怠感・フラフラ感
 ●上半身や頭の、腫れぼったい熱感・のぼせ感・ほてり感
 ●手足の震え(上半身、両腕がワナワナする感じ)
 ●手足のピリピリしたしびれ感
 ●体の芯や頭の芯を、低電圧の電流がブーンと流れているような感覚
 ●舌先のしびれ
 ●突然の発汗(食事中や食後に、いきなり後頭部にどっと汗が出る)
 ●手足が「ザワザワ」する感覚


7月下旬に、十二指腸腫瘍の手術をした慈恵医大の消化器外科(肝胆膵外科)の診察を受けました。
その際、この
不定愁訴の塊のような体調不良のしんどさについて訴えました。
医師には「血液検査の結果を見ても、異常はないし、
腫瘍摘出の手術(膵頭十二指腸切除術)でこのような症状には普通はならない」と言われました。

そこで
慈恵医大の泌尿器科・男性更年期障害外来をあらためて紹介してもらいました。
再度の血液検査。採血項目は、肝機能、血糖、PSA、遊離テストステロン(LH-黄体ホルモン、
プロラクチン、エストラジオール-E2-を含む)、一般血液など。


検査の結果、男性ホルモン(フリーテストステロン)の値が基準値よりも低いと判明。
この前の自宅近所の内科クリニックでの検査では基準値内だったのに。
それで、男性ホルモン補充療法ということで、さっそく
テストステロンの筋肉注射(エナルモンデポー)を始めました。
翌日には筋肉モリモリになっているかと思いましたが、全然なんにも変わりませんでした(笑)。


体の倦怠感、ほてり感、のぼせ感、熱感、手足の震えとシビレ感、頭のフラフラ感などは依然として続きました。

研究室で、グッタリとソファーに横になって、窓の外の丹沢をボーッと眺めながら、
いったい自分はこの先どうなってしまうのだろうかと途方に暮れました。


2014年8月  難行苦行のフランス滞在              .
男性ホルモン筋肉注射の効果はあまり実感しないまま、例によって夏の南仏調査旅行に家内と出かけました。
フランスにいる間に効果が出てくればいいかな、という希望的観測でした。

しかし
結果は最悪でした。

フランスに着くなり、上記のような不定愁訴攻撃に加えて、さらに
耳鳴りと、
耳と頭がガッツリ塞がったような
頭の閉塞感が来ました。
何かが張り付いたように、頭の右側と右耳をベッタリふさいでいるような感じ。
閉塞するだけでなく、わんわんと耳鳴りがします。

この夏は、ラングドック地方北部のロゼール県の中世ロマネスク教会巡りをしたのですが、
こうして最悪の体調の中で、
連日フラフラになりながら運転し、
あちこちの教会を調査して、ワナワナ震える腕でカメラを構えて写真を撮り続けました。
夜のレストランでも体と頭がボーッとしてフラフラでした。

朝も起きられず、ようやくホテルを出るのは10時半~11時です(普段なら8時とか9時とか)。
ほてり・のぼせ・熱感、手足のしびれ、脱力感のために、レンタカーを道端や空き地に駐めて、
しばらく後部座席で寝たきり状態になることも毎日何度もありました。
かくしてこの夏は、
わが人生最悪のフランス滞在となったのでした。


2014年9月 本当に最悪の時期                   .
フランスから帰国。耳の状態があまりにひどかったので、
東京の有名な耳鼻科専門病院である「神尾記念病院」を受診。
しかし、特に心配すべき異常はないと言われました。「メニエール氏病」の心配もないとのこと。
頭の右側と右耳の閉塞感は、その後少なくなりました。



慈恵医大の「血液内科」にもかかりました。
しかし検査の結果、
どこにも異常はなしでした。


9月中旬には、大学の後援会(PTA)の保護者面談という仕事で、何日かかけて北関東地方を回りました。高崎、水戸、宇都宮です。
恐らくこの頃が、
最も悪い時期でした。
体が震える・シビレるで、鉄道の駅の
ホームの階段の上り下りがうまく出来ないほどでした
宇都宮では、あまりの具合の悪さのために、夕方到着した後、駅前に立ちつくしたまま途方に暮れてしまいました。
私はこのまま
宇都宮で「客死」するのではないかと思いました。ホントです。

この頃には、
アゴが小刻みに震えていることにも気がつきました。さらに手が震えて字がうまく書けなくなっていました。


北関東の難行苦行から帰った後、今度は慈恵医大の「神経内科」にかかりました。
いろんな検査の結果、神経内科の医師からは
「検査結果を見る限り、
ナカガワさんの体は100パーセント健康です」と言われました。
えー!? だって今もこんなにワナワナと震え、シビレてフラフラなのに!! 
100パーセント健康だってぇ!?



震える・しびれる・のぼせる・火照る・脱力・倦怠感にフラフラになりながら、
いったい自分はどうなってしまったんだろう? 
いったい何がどうなっているのだろう? これからどうなるのだろう?
いつまでこんなことが続くのか? このまま死んでしまうのか? 
毎日本当にそんなことを考えていました。
最悪でした。希死念慮さえわいてきたほどです。



2014年10月初め 心療内科                    
.
内科、外科、耳鼻科、血液内科、神経内科とあちこち回って、どの科でも、どこにも異常がないと言われたあげく、
最後は「心療内科」です。
自分もとうとうメンタルか、と思ったものです。

町田の某メンタルクリニックを予約しました。そこの院長は評判がいいらしく、
受付には「今から予約しても
初診は半年後です」と言われました。
別に院長でなくても構わないので、一番早く予約の取れる医師を選びました。
そしてフラフラになりながらクリニックまで行きました。

混んでました。

クリニックの中に入ったとたん、
待合室には患者がギッシリです。
今の時代、心療内科・精神科(メンタルクリニック)は、大繁盛です。
逆に言うと、メンタル系のトラブルで苦しんでいる人は、すごく多いのだと分かります。

H医師の診察を受け、抗うつ剤(アモキサン)と抗不安薬(グランダキシン)を処方されました。
かくして自分もいよいよ「
うつ病」なのか~、と思いました。
それらの精神系のクスリは、「めまい」という副作用が激しかったです。
飲み始めて2~3日で、まるで船に乗っているように世界が揺れました。
しかも、2週間くらいそれを飲んでも、肝心のウルトラスーパー体調不良の症状は何にも変わらないので、
結局それらのクスリを飲むのはやめてしまいました。



ベンゾジアゼピン                           .
さて、いよいよ「ベンゾジアゼピン」の話になります。

私はそれまで4~5年、「マイスリー」という眠剤(睡眠導入剤)を飲んでいました。
十二指腸腫瘍の手術のずっと前からです。



「マイスリー」は、薬剤名は「ゾルピデム」といって、正確には「
非ベンゾジアゼピン系」なのですが、
しかしこの「非ベンゾジアゼピン系」と言われる薬剤は、
作用機序も効果も副作用も「
ベンゾジアゼピン系」とほぼ同じなので、
この際「ベンゾジアゼピン」ということで一括します。


「ベンゾジアゼピン系」の薬剤には、ハルシオン、ロヒプノール、サイレース、レンドルミン、
マイスリー、アモバンなどの睡眠導入剤(眠剤)や、
ソラナックス、デパス、メイラックス、ワイパックスなどなどといった抗不安薬があります。

私の場合、最初はヨーロッパから帰ってきた直後の「時差ボケ」がひどくて夜あまりよく寝られず、
かかりつけの内科クリニックでそれを言ったらすぐに眠剤「マイスリー」を処方されました。
また、飛行機に乗る際にも、これを飲むと機内でグッスリ寝られて、
起きたらもう成田の近くまで帰ってきている、という感じで便利でした。
最初はそんな感じだったのが、ついつい寝つけない時に「
たまに飲む」ようになりました。
そしてそれが「
時々飲む」になり、さらに「しょっちゅう飲む」→「いつも飲む」に変わっていきました。

「今夜は眠れないかも知れない」という不安から「毎晩あらかじめ飲む」ようになったのです。
「今日はいいだろう、これ飲んだら寝れるし」みたいな感じ。
確かに飲むと寝れるのです。こうして「クセ」(依存)になってしまいました。
これが
「眠剤」の怖いところだと思います。

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しかも内科クリニックでも手軽に処方してくれます。
「マイスリー」程度の眠剤ならお手軽で比較的安全だという意識が、医者にも患者にもあると思います。
「一生飲み続けても大丈夫」みたいに言われることもあるそうです。
しかし欧米ではこうした「ベンゾジアゼピン系」薬剤は、
2~4週間程度の短期集中服用に限られているなどとは、まったく知りませんでした。

最初は5ミリの錠剤を、さらに半分に割って飲んでいました。それで充分効いて寝れていました。
それが、1年、2年、3年、4年と過ぎていくにしたがって、
5ミリの半錠→5ミリ1錠→5ミリ1錠半→10ミリ、というふうに増えていきました。

耐性がついてだんだんそれまでの量では効かなくなっていったのです。

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「マイスリー」特有の副作用もありました。飲んだ後の記憶が飛んでしまうのです。
記憶が全然ないのに、誰かにメール送っていたり、洗濯していたり、アマゾンで本を注文していたり。
翌日になってアマゾンから「書籍の購入ありがとうございましたメール」が届いて、
「あれれ、こんな本頼んだっけ??」みたいな。

家内と話していて、目の前でガクッといきなり眠りに落ちるということもあったそうです。

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十二指腸腫瘍の手術を受けて半年以上たったあと、2012年終わり頃から、
よせばいいのに「マイスリー」にプラスして
アルコールを飲むようになりました。

これはいけません。

「ベンゾジアゼピン系眠剤」と「寝酒」のダブルは地獄への道です。
本当にバカなことだと、今になって思います。まさに
自業自得ですね。
でもその効果は絶大で、眠剤と酒であっという間に眠れました。




ベンゾジアゼピンの耐性形成と常用量離脱               
.

「ベンゾジアゼピン系」眠剤は、耐性の形成が問題とされています。
次第にそれまでの量では効果が出なくなって服用量が増えていくのです。
アルコールも同様に耐性の問題があります。それがひどくなると「アルコール依存症」になります。

この2つを同時に飲み続けると、クスリと酒の耐性がダブルで、しかもスピードアップして形成されるようです。
これを「
交差耐性」と言います。

愚かな私の場合も、クスリの量が増え、かつアルコールの量も増え続けました。
最初はほんの少しのウイスキーだったのが、最後には一晩で小ボトル1本とかになってしまいました。


このページで述べてきた、2014年の春あたりからのウルトラ・スーパー体調不良の状態に陥った時期は、まさにこれでした。


ベンゾジアゼピンは、いったん耐性が形成されると、減薬あるいは服用をやめることによって今度は「離脱症状」が出ます。
これはつまり言いかえると「
禁断症状」のことです。

しかも、ベンゾジアゼピンでやっかいなのは、いったん耐性が形成されると、
それまでの通常の量の服用中に、この「離脱症状」が出現するのです。
ベンゾジアゼピンの常用量依存・常用量耐性・
常用量離脱・常用量禁断症状です。
「マイスリー」は超短期型と言われるタイプです。血中濃度が、服用後1時間くらいで最高に達します。
その分、半減期もすぐです。つまり、あっという間に切れるのです。
なので、
服用した翌日の昼には、すでにもう「離脱症状」(禁断症状)が出るわけです。


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ベンゾジアゼピンの離脱・禁断症状には、実に様々なものがあります(ウィキペディア:ベンゾジアゼピン離脱症候群)。
不安、恐怖、離人感覚、不眠、幻覚、うつ病といった精神的なものから、
めまい、不快、電撃感覚、耳鳴り、光や音に対する過敏、味覚異常、しびれ、震え、発汗、
むずむず感、うづき、ほてり、インフルエンザ様症状、筋肉痛、吐き気、凝り、などの各種身体症状。
これはもう、
なんでもありですね。
私を襲っていた不定愁訴の大群は、これらの身体症状とかなり共通していました。

自分のひどい体調不良は、ひょっとしてベンゾジアゼピンの離脱症状(禁断症状)なのではないか?と、
ある頃から気がつき、いろいろ調べ始めました。
もっぱらインターネットの世界で調べました。というか、ネットしか手段がありませんでした。
病院のいろいろな科に立て続けにかかった時にも、その疑いをぶつけましたが、
医師たちからはいつも口をそろえて「
いやぁ、マイスリーでそれはないでしょう」との答えが返ってきました。
なんと
心療内科の医師からも同じでした。

多くの医者はベンゾジアゼピンの離脱症状問題についてはあまり知らないのです。
心療内科の医師は、むしろそれには
あまり触れたくないという感じでした。
その心療内科の医師には「あんまりネットに書いてあることは読まない方がいい」とも言われました


なので、自分で調べるしかありませんでした。
ベンゾジアゼピンの減薬・断薬を試みて離脱症状に苦しむ多くの人々が、
それぞれネットの中で、手探りで答えや解決法を探し求めているようです。
ベンゾジアゼピンの減薬・断薬についてのサイト、ブログはたくさんあります。
それだけこの問題に苦しんでいる患者が多いということなのでしょう。
そうしたサイトやブログも数多く読みました(そしてそれらに勇気づけられました)。

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ネットの世界では有名な「
アシュトンマニュアル」も熟読しました(ネットで検索してPDFをダウンロードできます)。
これについては賛否両論いろいろあるようですが、自分はとても勉強になりました。
中でも、次のような文章に行き当たった時には、ヒザをたたいて納得しました。

  「短時間作用型のベンゾジアゼピン[…]はかなり速く排出されるため、
   結果として各服薬時間の間に血中濃度のピークや谷を生じて、
   濃度の変動が激しくなります。

   
そうすると、一日に数回服薬する必要があり、
   多くの人が
各服薬間に“ミニ離脱症状”を経験し、
   時には薬を渇望する状況が起こります。」(50頁)


  
「[ハルシオンのような超短期型の]ベンゾジアゼピンは
   かなり速く排出されるため、
   前夜の服薬後、
翌日には事実上、毎日離脱
   していることになります。」(57頁)

繰り返しですが、私の場合は、アルコールとの併用もあって「交差耐性」がついてしまったらしく、
アシュトンマニュアルにあるように、「マイスリー」を飲んで寝た
翌日の日中には、もうすでに「離脱症状・禁断症状」が現れ
ベンゾジアゼピン離脱によるさまざまな苦しみが毎日襲ってきていたのだと思われました。


それを確信させる事実があります。

●まず、一日のうちでも、朝~午前中は比較的症状が軽く、
たいていお昼を過ぎたあたりから症状が増悪したこと。
つまり前夜に飲んだ「マイスリー」の血中濃度が、朝はまだ少しは残っているが、
時間がさらにたってお昼過ぎるころからクスリが完全に切れて、本格的な離脱・禁断症状が起こっていたらしい。

●次に、あまりにもツライ時には、それから逃れるために、
実はしばしば日中の午後にも「マイスリー」を飲んで1~2時間「
寝逃げ」したのですが、
不思議なことに
「マイスリー」飲んで「寝逃げ」して目が覚めたあとは、決まって体調が良く、気分もスッキリしたのです。
つまり、離脱・禁断症状が起こった時に、「マイスリー」を「補充」したことでそれが和らげられたということらしいのです。
麻薬がきれた時に麻薬を飲んだら楽になる、みたいなものですね。

とりわけこの後者の事実が、私にベンゾジアゼピン犯人説をますます確信させることになりました。



2014年10月上旬~  
ベンゾジアゼピンの減薬・断薬へ        
.

2014年10月上旬から、意を決して禁酒し、さらに「マイスリー」の減薬を始めました。
その際、「アシュトン・マニュアル」にあるように、そして多くの減薬断薬系のブログで書かれているように、
ベンゾジアゼピンを
少しずつ減らしていく方法をとりました。

すでに毎日事実上の離脱症状が出てしまっているのなら、一気に断薬しても良かったのですが、
それはやはりちょっと怖かったので、念のために少しずつ減薬することにしました。
行きつけのメンタルクリニックからは、「マイスリー」を急に減らすとひどい不眠になるからと
レンドルミン」(やはりベンゾジアゼピン)も処方されていました。
なので、まず数年間服用し続けていた「マイスリー」を減らし、
それが終わったら今度は「レンドルミン」を減らしていくことにしました。

「マイスリー」は、5ミリの錠剤をカッターナイフで4分割し、10ミリから始めて、
1週間ごとに1.25ミリずつ減らしていきました。

そして1ヶ月かけて
「マイスリー」をゼロにしました。

さらに次の1ヶ月かけて
「レンドルミン」をゼロにしました。

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

かくして、禁酒と、「マイスリー」と「レンドルミン」というベンゾジアゼピンの減薬・断薬を試みたわけですが、
それによって
体調は少しずつ回復していきました。
表現のしようのない倦怠感・脱力感は、すぐに軽くなっていきました。
ただその後も実にさまざまな不快な症状が出現しました。

最初(10月上旬~中旬頃)は、上半身や
首から上の「膨圧感」「熱感」「フラフラ感」が強く続きました。
 目の焦点が合いにくいということもありました。
 足が震えて階段の上り下りがうまく出来ないという症状はほどなく消えましたが、
 
両手両足の「冷え」や「不快感」で朝に目が覚めるということはしばしばでした。
 両腕の震えは少なくなりましたが、両腕のピリピリ感はしつこく続きました。
 
さらに両腕の「ザワザワ感」もしばらく続きました。
 また
「めまい」もなかなか消えませんでした。

10月中旬~下旬にかけては、今日は調子が比較的いいという日と、また元に戻ったみたいに調子の悪い日が繰り返しました。
 肩から首にかけての「こり」がひどい日も続いたりしました。首を回すと自分には「バキバキ」音が聞こえました。
 「アゴ」のこりも強い時がありました。
 耳鳴り(高音と低音のダブル)もありました。
 眼の奥の痛みを感じたことも時々ありました。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「マイスリー」が完全にゼロになった11月に入る頃には、こうした症状も全体的にかなり少なくなってきました。
全身の強い倦怠感や、震え・しびれ感・体の芯の電流感はあまり感じなくなりました。
ただし、時々思い出したかのようにそうした症状が
突然現れることはありました。
特に
頭の「膨圧感」「膨熱感」とか、体の「ザワザワ感」はしばしば再来しました。
多くのブログで「ベンゾジアゼピン減薬断薬のプロセスは
《3歩進んで2歩下がる》だ」
などといったようなことが書かれていますが、これは
まったくその通りだと思いました。


2015年1月~  症状の軽減
               
.

その後も時々思い出したかのように、手足のしびれ感とか、頭の膨圧感、倦怠感、めまいなどを感じることがあります。
まぁこれは仕方のないことでしょう。長い時間をかけてそれらが完全に消えるのを待つしかないと思います。

しかし、最悪だった2014年の夏から秋にかけての体調に比べると、天と地の違いほど、体の調子は良くなりました。
少なくとも
自律神経のウルトラ・スーパー失調症のような不定愁訴地獄は、なくなりました。
12月頃から少しずつアルコールも復活したのですが(ただし寝酒はやめてます)、
それによって体調が再び大崩れするということはありません。
自分の体はどうなってしまうのかと途方に暮れて絶望していた時のことが、まるでウソのようです。

一時的に試してみた男性更年期障害対策としての男性ホルモン筋肉注射(1ヶ月に1回)が
功を奏したという可能性もなくはないのですが、
やはり何と言っても、ベンゾジアゼピンをやめたことが一番大きいと、自分では思います。
なぜかって、ベンゾジアゼピンやめたら、そのとたんに体調が回復し始めたのですから。
それに、体のピリピリ感や電流感、ザワザワ感や頭の膨圧感・膨熱感などは、
直感的に更年期っぽくはないという感じがします。




ベンゾジアゼピンは、なるべくもう飲まないようにしたいものです。

私は「マイスリー」というたった1種類の眠剤だけでこのような苦しみを味わいました(まぁ酒もあったのですが)。
世の中には、もっと強いベンゾジアゼピンを、しかも何種類も飲んでいる人が少なくないようです。

そうした人々の苦しみはさぞかし大変だろう
と思います。
私なんかまだマシな方なのかも知れません。
でも、もうこりごりです。

南仏のレンタカーの中で寝たきりになったこと、宇都宮で絶望して立ちすくんだこと、
フラフラになって夜の町田の街を這うように自宅まで歩いたこと、
研究室のソファーにグッタリと横になり震えながらながら窓の外の丹沢の景色を見ていたこと、
駅の階段の上り下りが出来ずにガク然となったこと、
こうしたことは、「ベンゾジアゼピン」という名前とともに、いまわしい記憶として残り続けます。

わが人生において、二度とこの「ベンゾジアゼピン」のお世話になることがありませんようにと願うばかりです。





【2017年4月追記】
※ベンゾジアゼピンの単発的再使用について             

さて、ベンゾジアゼピンはもうこりごりだ、などと言ったくせに、
実はその後も単発的にベンゾジアゼピンのお世話になっています。
以下、
減薬・断薬後のベンゾジアゼピン単発的再使用についての情報として参考にして下さい。


まず私は、胃カメラ検査を毎年、そして大腸カメラ検査を3年に1回くらい、慈恵医大病院で受けています。
その際、カメラを体に入れる前に「鎮静剤」の注射を受けます。
胃カメラなどは、その注射がないと、私は反射がものすごくて、
カメラのファイバースコープを入れている間ずっとゲロゲロ嘔吐地獄です。
「鎮静剤」は、医師に頼んで
通常よりも多めにお願いしています。
おかげで、胃カメラ飲んでも、あまり苦痛がなく、ボーッと半分寝ているような状態で検査が終わります。
これは、とてもとてもありがたいことです。
ところがしかし、この「鎮静剤」、商品名「ドルミカム」薬剤名「ミダゾラム」というのは、
調べてみると、なんと実は
バリバリのベンゾジアゼピンだったんです。

ベンゾジアゼピンなんてやめたはずなのに、それを静脈血管内に注射で直接ぶち込んでいたわけですね(笑)。
ああ、なんということでしょう。

しかし胃カメラ検査で単発的にベンゾジアゼピンを使用することによる不具合は、
これまでのところ、幸いにしてまったくありません。
またまたあの離脱症状が襲ってくる、ということもありません。
同じベンゾジアゼピンでも、異なる薬剤だからでしょうか。
何はともあれ、よかったよかった、です。




次に、年に2回のペースで出かけるフランスですが、渡仏の際と帰国の際に生じる「時差ボケ」が悩みのタネで、
夜寝られない、朝起きられないという状態がしばらく続きます。
それで、仕方なく、
数日間のみに限ってベンゾジアゼピンの眠剤を服用します。
恐ろしいことに、そのたった数日間だけの服用によって、かつて苦しんだ離脱症状のような感覚が出現します。
体の膨熱感、虚脱感、腕のしびれる感じなど。
2014年の一番具合が悪かった時を「10」とすると最大で「2~3」くらいでしょうか。
それが出現したらすぐにストップです。そうするとその後数日かけて、その症状は消えていきます。

それでも、もう私のカラダは、
ベンゾジアゼピンの刻印が刻み込まれてしまっているということなんでしょうね。
恐るべしベンゾジアゼピンです。



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作成 by 中川久嗣(なかがわひさし)  メール nakagawa@tokai-u.jp