2013年


2013年4月~】                          .
 この3月で、学科主任(学科長)という役職が、めでたく6年間の任期満了にて終了しました。
 この6年はホントにいろいろあって長かったです。最後の1~2年くらいは、文字通り、命を削って務めたという感じでした。実際、十二指腸とその周囲をガッツリと「削った」わけですし(笑)。
 学科主任(学科長)とは、世間で言うところの、典型的な中間管理職です。というか、学科という現場の責任者なので、「中間」ではなくてむしろ「末端」管理職ですね。
 稟議書にハンコ押す時なんかでも、捺印欄はずらずらと並ぶ役職者の列の一番下です。

 毎日毎日、ホントに毎日、学科主任宛の書類が来ます。しかもその多くが「×月×日までに提出せよ」という期限付きです。
 その書類の処理に追われて日々が過ぎていくといった感じ。また、学科内のさまざまな役割分担や各種の委員会、イベントや行事その他の担当、書類の作成などなどを、
 学科の先生方に頼みに行くわけです。「センセイ、今度の××をお願いできませんか~?」みたいに。これが日常的にかなりのストレスになります。
 
誰だってそんなものは引き受けたくないわけです。いい顔しません。それを承知で頼みに行く。大変なストレスです。
 そりゃあ腫瘍の一つや二つは出来るよな~っという感じです。文学部の他の学科では「
ナカガワの病気の原因は、過労とストレスに違いないね」みたいにささやかれていたそうです(笑)。

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 とにかく、いろんなことを、いちいちイヤな顔されながら頼みに行くのとかがとてもイヤで、結局何もかも全部自分でやってしまえ、ということがかなり多かった6年間でした。
 本当はそういうのは良くないと自分でも分かっているのですが、自分でやってしまった方が手っ取り早く済ませられる、人にあれこれ頼みに行くストレスもない。
 そうすると結局何もかもが限りなく自分に降りかかってくるようになるのです。
 これは実は、組織の他のメンバーも含めて、みんなにとって良くないことです。
 他の人も、「ナカガワに任せれば全部ちゃんとやってくれるよ」みたいに安易に思ってしまい、ますます余計なことを引き受けなくなる。
 
まさしく悪循環ですね。これは大いなる反省点です。

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 とにもかくにも、学科主任という「末端管理職」は終わりました。
 すると4月が始まったとたん、毎日毎日提出期限付きで押し寄せてきていた書類が、パタっと来なくなりました。
 大学院の専攻主任というのは今しばらく残っているので、多少は書類が来ますが、以前のような
書類の「滝」に打たれるということはなくなりました。
 いろいろな頼み事をして回るということも、格段に少なくなりました。そして、研究室の窓から丹沢をゆっくり見ながらお茶をすするという夢のような時を過ごすことが出来るようになりました。
 時間が出来たおかげで、なんと研究室で本が読めるんです(笑)! 思えば、これはすばらしいことです。
 5月の末に、関西のある女子大で講演をしてきました。その日の夜は神戸の三ノ宮にて関西在住の卒業生の二人と会って一杯やってきました。
 二人とも卒業してもう7年くらいたっていますが、変わりなく元気に活躍されているようでした。

神戸・三ノ宮にて。卒業生の関君と篠崎さん。



 体調は相変わらずです。比較的具合の良い週もあれば、絶不調の週もあります。
 5月の半ば頃だったか、お腹がものすごくギュルギュル動いて、しかも胃のあたりが痛くて、歩くことも出来ない(歩くと胃のあたりにすごい響いて痛い)、
 呼吸をしても痛い、みたいなことがありました。そうなると、一日中寝たきり状態です。それは数日して収まりました。
 でも基本的に、胃から腸にかけてのあたりが重たくて張った感じがするのは、いつも続いています。

 そう言えば、1年と少し前に十二指腸乳頭部腫瘍切除の大手術を受ける前に、その腫瘍を最初に胃カメラで見つけてくれた町田の「SJクリニック」の医者(SJ先生)が言ってました。
 「ああ、そうですかぁ~。膵頭十二指腸切除術受けることにしたんですか~。それはよく決心されましたねぇ。術後は本調子に戻るまでに3年はかかりますよ~。」
 そう言って、
私の目の前で指を3本立てて見せるんです。3本。そしてまたこうも言ってました。
 「もしも、それがすい臓ガンになってたら、5年生存率は1割~2割くらいですよ。
  私自身は、5年生きた人はほとんど見てないですけどね。あ、すみません、これは余計なことを言いましたね~。」

 自分はとりあえず、悪性になる2~3歩手前だったので、まあ良かったと言えば良かったのですが、そのSJクリニックの医者が指を3本立てた姿が、いまだに鮮明に思い出されます。
 今になって、確かに「3年くらいかかる」という言葉が分かります。1年くらいでは全然ダメです。
 でも、結局その「町田SJクリニック」の「SJ」センセイが、最初に腫瘍を見つけてくれたわけなので、感謝しております。

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 話はガラリと変わりますが、ガタが来たのは私の体だけではなく、私のクルマもです。17年くらい乗った(二十数万キロ走った)愛車がとうとうダメになり、4月から新車に乗り換えることにしました。
 これまでの「カッ飛びカー」ではなく、ハイブリッドのトヨタ「アクア」という小さいコンパクトカーにしました。最近は「プリウス」よりも売れているとか。
 時流に乗った感じです。でも自分ももう若くないし、十二指腸もないし(笑)、小さなファミリーカーでおとなしく走ることにしました。
 ハイブリッドの効果はすごくて、1リッターあたり普通に25キロとか走ります。通勤のガソリン代がとても助かります。混んでいる市街地をチンタラ走る時はとても燃費がいいです。
 「現在の燃費」というのがスピードメーターのところに表示されるのですが、一度などはリッター60キロと表示されたりしてビックリしたこともあります。

 あと、今回の乗り換えでは、購入ではなくて、「個人リース」にしました。これまでお世話になっている神奈川トヨタの人に「こんなプランもあるんですよ」と勧められました。
 「のりかえラクだ」という個人リースプランです。
 メリットは
  ・1ヶ月あたり2万数千円の負担で済む(いっときに200万近くの現金あるいはまとまった頭金を用意しなくてもよい)。
  ・自賠責保険、自動車税、重量税、自動車取得税などは
全然払わなくてよい(ただし任意保険は必要)。
  ・
2年ごとに新車に乗り換えられる(車種変更は自由。月々の支払額は変わるが)。
  ・
車検はいらない(つまり車検が来る前に新車に乗り換える)ので車検費用も必要ない。

 デメリットとしては
  ・クルマ自体は自分のものにはならない(リースだから当然)。ただし、2年後に買い取るかどうかは決められる。
  ・2年で20000キロという制限がある。ただし、越えた分は1キロ10円で精算できる。
  ・自分勝手に改造したり装置を装着できない。
  ・こすったりキズつけたりしたら、返却時の査定のあと精算。

 ワタシ的には、月々この程度の負担で2年ごとに新車に乗り換えられるのがいいと思いました。2万キロ越えた分は精算すればいいし。
 大病して以来、モノの所有にあまりこだわらなくなったので、クルマが自分の所有にならなくても別に構いません。自分のものにして10年15年後に売ることなんてサラサラ考えません。
 そもそも高級外車やクラシックカーでもない限り、
10年15年もたったら売れないし。
 それに、「このクルマはリースなので自分のものではない」「キズつけてはいけない」という意識がつねにどこかにあるわけで、
 
実はとても運転が慎重に(つまり安全運転)になりました。これは思わぬ副産物効果ですね。結構なことです。そもそも、もうそんなにカッ飛ばすような年齢でもないし。
 小さなエコカーでチマチマおとなしく走るワタシ。ああ歳取ったなぁと自分でも思っています(笑)。


乗り換えたトヨタ・アクア。さすがに最近はあちこちで見かけます。


【2013年6月~】                          .
 体調は相も変わらず、良いときもあれば悪いときもあります。みぞおちあたりが突然「ギュー」と来るのは、
 JK医大の主治医のM先生によると、「癒着」しているのだろうとのことです。
 そもそも人間のカラダは、切ったキズは一種の「癒着」でくっついてふさがるのですが、消化器の手術のあとはキズがつながるという以外の、
 別の部分との「癒着」が多くの人で起こるそうです。この「ギュー」という痛みは、何年かたつと収まるのでしょうか。あるいはずーっと続くのでしょうか? 

 7月になって、今から15年前のゼミ卒業生の古田浩之君と再会して、一杯やることができました。古田君は現在は長野県の松本市在住です。
 久しぶりに奥様と神奈川に来られ、大学を訪れるのに合わせて、町田で会いました。奥様は、やはり東海大学文学部の西洋史専攻の卒業生です。
 古田君の卒業論文は、エリザベス朝時代の演劇と劇場についてのもので、大変に優秀な論文でした。
 15年という月日は何と早いことでしょう。彼が卒業生したのは、ホントについこの前のことのようです。私は当時まだ38歳でした(笑)。
 でも古田君はまるで時が止まったように、全然変わっておられませんでした。今は職場の会社で中堅管理職としてご活躍とのことです。
 この次はぜひ松本で一杯やろうという話になりました。ぜひともアルプスを見て温泉に入って、そしてまた古田君ご夫妻とおいしい酒を飲みたいものです。

古田君と町田にて。


2013年8月~】                             .

 8月に、例によって南仏ロマネスク巡りをしました。
 今年の3月に南仏アルデッシュ県を回った際に、冬期でアクセスできなかった高地と、さらにロゼール県の東部地域です。
 3月は寒くて、標高が高いと雪などのために行けないところがあって困ります。しかしオフ・シーズンなので、どこに行っても(特に地方の田舎とかは)人が少なくて助かります。
 夏は、確かに雪はありませんが、今度はどこに行ってもバカンスの人が多くてやはり困ります。
 今回はアルデッシュやロゼールの山間部や渓谷を主に回ったのですが、まさにこの「山間部や渓谷」こそは、フランス人の夏休みの場所なのです。
 田舎の村などでも、バカンス客のクルマが一杯で、こちらがクルマを停めるスペースが見つからない。
 また村中が夏のお祭りで、そのままクルマで入れない、といったこともしばしばでした。


ティヌ(Thines)。アルデッシュ県南部の、標高860メートルの村。クルマの乗り入れ禁止で、下のパーキングから延々歩いて登りました。
教会はロマネスクで、入口の彫刻が有名。


 一番大変だったのは、細いクネクネした山道をさんざん走ってたどり着いた、ル・ポンピドゥー(Le Pompidou)という村で、
 なんとF1サーキットのイベントで村全体が封鎖されていたのです。サーキットの混雑・混乱に加えて、お目当てのロマネスクもなかなか見つからないので困りました。
 下の写真(左)はさんざん迷って、細い山道の奥にようやく見つけたル・ポンピドゥーのサン・フルール教会(Eglise St-Flour)です。

     
ポンピドゥーのサン・フルール教会   グランモン修道院

 ロゼール県ではその東半分に当たる、アルデッシュ県との県境の山間部地方から、フロラック(Florac)、マンド(Mende)、ランゴーニュ(Langogne)にかけての地域を回りました。
 また今回の南仏巡りの終点モンペリエに到着する前に、ロデヴの近くのサン・ミシェル・ドゥ・グランモン(St-Michel-de-Grandmont)も訪れました。
 グランモン修道会は11世紀にリムーザン地方で創立されたもので、修道生活の厳格さからその修道士たちは「善き人々」と呼ばれました。
 ロデヴの近くにあるこのサン・ミシェル修道院は、グランモン修道会の中でも保存状態がとても良いものです(写真上右)。

     


2013年9月~10月】                            .

 9月は、神戸にある薬科大学で講演しました。しかしこの頃、急に胃腸の具合が悪くなりました。みぞおちあたりがひどく痛みます。明け方にそれが来て、一日中ズキズキ痛みます。
ひどい時は歩くこともできません。呼吸すると痛みが響きます。
 何日かするとようやく収まってくる。可能性としては、
「逆流性食道炎」が一番考えられます。
 春に術後初めての内視鏡検査をしたのですが、その時にすでに軽度の逆流性食道炎が見つかっていました。

 「逆流」してくるのが、胃液なのか、腸液(胆汁、膵液その他)なのか、よく分かりません。
 私の場合は手術で十二指腸だけではなく
胃の出口も取っているので、腸液がダイレクトに「逆流」してくるようです。
 術後、1ヶ月に1回くらい発生する胃のあたりの「ギュー」という痛みもこれかも知れません。
 あとは、術後の「癒着」とか、無理矢理胃と小腸をつなげていることから来る消化器の不調な動きとか、あるいは精神的なものに連動しているのかも。
 「ダンピング症候群」というのは、胃を一部あるいは全部切除した人にはたいてい起こるそうです。
 食べたものが胃にとどまらずにそのまま小腸に「落下」するもので、食後にいろいろな不調が現れます。私にはこれも当然あるのだと思います。
 9月から10月にかけて、こうした胃の痛み・不調のおかげで、卒業生との夕食会を二つばかりドタキャンしてしまいました。
 卒業生のみなさん、どうもすみませんでした。


2013年11月~12月】                           .
 あいかわらず突発的に、胃のズキズキが襲ってきます。まるで心臓麻痺みたいな痛さです。最初はホントに心筋梗塞かなにかだと思ってしまったほどです。
 慈恵医大の定期診察があったので、この苦しみを訴えると、
 医師は、この痛みはたぶんやはり「逆流」だと思うが、結局水とか飲んで押し流すしかないと言います。とりあえず制酸剤(パリエット)を増量してもらいました。

 最近は「逆流」が起こると、大量の水で押し流します。あっ「逆流」が来るな、というのが分かるようになったので(地震の「初期微動」みたいな感じ)、急いで水をガブガブ飲みます。
 そうすると、すぐに治まるようになりました。「逆流」はいつやってくるか予測がつかないので、常にいつも水を入れた小さなペットボトルを持ち歩きます。
 ちょっと外出する時、お散歩の時、通勤のクルマの中、そして講義中もです。もう手放せません。


 11月から12月にかけて、毎週月曜日に、横須賀市民大学で合計6回の講座を担当しました。
 4年前にも「南仏プロヴァンスの歴史と文化」と題して担当しましたが、今回は「フランス・パリの歴史と文化」です。
 前回は80名くらいの受講生でしたが、今回は体調もすぐれないので、こちらかにお願いして50名と少なめにしていただきました。
 古代ルテチアの時代から中世をへてフランス革命、そして現代まで、駆け足でパリの歴史をたどりました。



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