2016年 3月の南仏調査と夏の実地研修旅行
【2016年1月~2月】 .
年が明けました。
毎年ですが、1月は秋学期が最後の締めくくりになると同時に、4年生の卒業論文の口頭試問があります。
大学院の修士論文提出とその試問もあります。
そんなこんなで慌ただしく過ぎていきます。
2月は入試の季節です(学部および大学院)。
授業はないので、この時期が一番自分の勉強が進む時期になります。
3月に、例によって南仏のロマネスク巡りを予定しているので、その際に訪れるロマネスクの事前調査で毎日が過ぎていきます。
どこにどんなロマネスクがあるか、その正確な場所、アクセス、歴史、建築的特徴などなどを一つ一つ調べていきます。
1日に10ヶ所とかを2週間以上なので、かなりの場所を訪れることになります。
それらについて網羅的にすべて、下調べをしなければなりません。
体調は、まあ可もなく不可もなくといったところです。
12月に胃カメラ、1月に大腸カメラの検査をしました。
食道に逆流性食道炎があるのは今まで通り。
4年前の十二指腸腫瘍摘出手術の際の大腸カメラで見つかっていた大腸のポリープは、今回の大腸カメラ検査では見つかりませんでした。
大腸のポリープって、消えたりするものなんでしょうか。
【2016年3月】 .
3月は、いつものように南フランスのロマネスクめぐりです。
今回は、これまであまり手をつけていなかった「ヴァール県」(Département du Var)に行きました。
ヴァール県は、西はプロヴァンス、東はコート・ダジュールという有名観光地にはさまれていて、日本ではあまり注目を集める地域ではありません。
しかし、シトー派のル・トロネ修道院は言うに及ばず、それなりに魅力的なロマネスクが点在しています。
また、トゥーロンは大きな軍港都市だし、イエールは風光明媚な地中海都市、サン・トロペは映画スターなどで知られた高級リゾート地です。
ヴァール県は、プロヴァンスからコート・ダジュール方面に向かう高速道路A8が、ほぼ中央を横切っています。
A8から北は、山がちです。いっぽう南側は、山がちの地域もあるのですが、そこにはロマネスクはあまりたくさんありません。
むしろ地中海に近い海岸地方(トゥーロンからイエール周辺にかけて)に、いくつも点在しています。
レンタカーを運転しながらロマネスクめぐりをする際に、緊張感が強まるのは、この海岸地方です。
狭い地域に都市や住宅地が集まり、道路も複雑でクルマも多く、なかなか疲れます。
以下、この3月に訪問調査したプロヴァンスおよびヴァール県のロマネスク教会その他をいくつか(しかもちょっと変わったところを含めて)、
画像のみですが紹介します。
詳しくは、『東海大学文学部紀要』で歴史や建築について、そして画像は
このウェブサイトの「南フランスの歴史と文化」で取り上げてゆこうと思います。
シャトールナール/サン=トノラ礼拝堂 Chateaurenard/Chapelle Saint-Honorat |
サン=テティエンヌ=デュ=グレ/ロラド地区 サン=トマ=デ=タンプリエ礼拝堂 St-Etienne-du-Gres-Laurade La Chapelle Saint-Thomas-des-Templiers |
サン=ジュリアン=ル=モンタニエ教会/ St-Julien-le-Montagnier |
ラ・セル/ガイヨール礼拝堂 La Celle/Chapelle de la Gayolle |
ブルー・オリアック/ノートルダム教会 Brue-Auriac/Église Notre-Dame |
シ=フール=レ=プラージュ ノートルダム=ドゥ=ラ=ペピオル教会 Six-Fours-les-Plages/Notre-Dame-de-la-Pepiole |
ピエールフゥー=デュ=ヴァール/サン=ジャン教会 Pierrefeu-du-Var/Église St-Jean |
イエール/テンプル騎士団の塔(サン=ブレーズ教会) Hyères/Tour des Templiers |
上記のうち、イエールのテンプル騎士団の塔(サン=ブレーズ教会)以外は、日本人はなかなか訪れる人はいないのではないでしょうか?
ピエールフゥー=デュ=ヴァールなどは、私が歴史上初めて訪れた日本人だと思います。多分ですけど。
イエールでは、イエール観光局の日本人スタッフの角野さんに随分お世話になりました。
この時期には閉まっているオルビア遺跡を見学させていただいたり、サン=ルイ教会を見学させていただいたり。
あらためて御礼申し上げます。
アンピュス/ノートルダム=ドゥ=スペリュク礼拝堂 Ampus/Chapelle Notre Dame-de-Speluque |
セイヤン/サン=ローマン礼拝堂 Seillans-Chapelle St-Romain |
ル・ミュイ/ノートルダム=ドゥ=ラ=ロケット教会 Le Muy/Notre Dame-de-la-Roquette |
ル・ミュイ/ノートルダム=ドゥ=ラ=ロケット教会 Le Muy/Notre Dame-de-la-Roquette(後陣) |
ル・ミュイ/サン=ジャン礼拝堂 Le Muy-Chapelle St-Jean |
バルジェーム城 Bargème/Le Château |
ロクブリュヌ=シュル=アルジャン/サン=ピエール礼拝堂 Roquebrune-sur-Argens/Chapelle St-Pierre |
サン=ラファエル/サン=ラファエル=デ=タンプリエ教会 St-Raphael-Eglise/Église St-Raphael-des-Templiers |
アンピュのノートルダム=ドゥ=スペルュク教会は、
ネットで調べたら、事前にここを管理するシスターに許可を取らないと見学できないとありましたが、
当たって砕けろ式でアポ無しで行ってみたら、シスターに大歓迎されました。
セイヤンのサン=ローマン礼拝堂は、軍事演習場の敷地の中にあって、通常は立ち入り禁止で見学不可です。
え? どうやって写真撮ったのかって? それはナイショです(笑)。
ル・ミュイのオートルート(高速道路)沿いには、2つの教会があります。
ひとつはノートルダム=ドゥ=ラ=ロケット教会で、ロマネスクよりも少し後の時代のものですが、今は完全に廃墟系です。
もうひとつのサン=ジャン礼拝堂は、およそ「礼拝堂」には見えませんが、巨大な岩場の間にある洞窟のような聖堂です。
ロクブリュヌ=シュル=アルジャンにあるサン=ピエール礼拝堂は、実に美しいロマネスクです。
ただし、いついっても中が見れないのが残念。
サン=ラファエルの旧市街にあるサン=ラファエル=デ=タンプリエ教会は、
現在ではサン=ラファエルの「先史・水中考古学博物館」の中にあって、入館料を払って入ります。
堂内は写真の通りきれいに修復されています。
その地下には、さらに古いロマネスク時代のクリプトの遺構があって見学可能となっています。
■■■■■ 訃報 ■■■■■
中川家の愛猫の「もんぷち」が、3月に亡くなりました。
享年23歳の大往生でした。
私は南仏滞在中だったので、最期を看取ることが出来ませんでした。
しばらく前からそれなりに衰えていたのですが、
渡仏前の1ヶ月くらいから急にそれが進み、歩くこともヨタヨタとしてままならなくなっていました。
食もかなり細くなっていました。
これは、帰国まではおそらく持たないだろうと思い、今生の別れをして渡仏しました。
南仏のヴァール県を回っている時に、家内から「もんぷちが逝った」と連絡がありました。
ちょうどバルジョル(Barjols)にいたのですが、連絡を受けた「Collégiale Saint-Marcel」の前のパーキングに置いたレンタカーの中で泣きました。
23歳だから、いわば大往生です。
永遠に生き続けるわけではないので、いつかは必ずこの日がやってくるのですが、
それでもやはり、途方もなく悲しいのです。
この23年間、いつも一緒にいてくれたネコでした。
私は気が小さいので、とても最期を看取るなどということは出来なかったと思います。
どんどん衰弱していって、死んでゆく「もんぷち」を見るなどということは、私にはとても出来ません。
あまりにつらすぎます。
なので、あのネコなりに考えて、私がいなくなるのを待ってから逝ったのではないかと思います。
うううう、それを思うだけで泣けてきます。悲しいです。
【2016年4月~】 .
2014年に人生最悪の1年を過ごしたため、翌年は大学に頼んで、中間(いや末端)管理職をペンディングしてもらいました。
2015年が進むうちになんとかカラダが復調したということで、この4月から再び末端管理職、
すなわち大学院文学研究科の専攻主任教授を命じられました。任期は2年です。
4月は新学期の始まりということで、いつものようにバタバタと慌ただしく過ぎていきます。
ゴールデン・ウィークもあっという間に終わりました。
5月は、TBSの「世界遺産」という番組の「アルルのローマ遺跡とロマネスク建築(フランス)」の回の監修をしました(放送は6月5日)。
「世界遺産」は、新しいシーズンに入っていて、今回の「アルル」は、2011年にローヌ川から引き上げられた
2000年前のローマ時代の船(chalande)にスポットを当てています。
平底タイプですが、長さが31メートルもあります。
川底から引き上げる時には、全体を一度にというのは無理なので、いくつもに切断して引き上げられました。
一緒に、おびただしい数の「アンフォラ」も見つかっています。
この船には「Arles Rhône 3」という名前がつけられていて、現在はアルル古代博物館(Musée d'Arles Antique)に展示されています。
この3月に南仏に滞在したおりに、自分でもアルルで見てきたものでした(↓)。
Arles Rhône 3. Musée d'Arles Antique.
このミュゼには、古代ローマ時代のアルルのさまざまな文物が展示されています。
今回の「世界遺産」の番組では取り上げませんでしたが、古代末期のすばらしい石棺のコレクションを見ることができます。
もともとアリスカン墓地にあったものや、アルル周辺で見つかったものです。
その中でもひときわ有名なのは、
「三位一体の石棺」(Sarcophage de La Trinité)の石棺、あるいは「夫婦の石棺」(Sarcophage des époux)と呼ばれるものです。
紀元4世紀前半のもので(↓)、1974年にアルルの近くのトランクタイユ(Trinquetaille)で見つかりました。
【2016年6月~】 .
5月半ば、東京で行われた卒業生の結婚披露宴に出席しました。
その帰り、その夜に宿泊予定だった虎ノ門のホテルにタクシーで向かう途中、
赤信号でそのタクシーが止まっていたところ、別のタクシーに追突されてしまいました。
いきなり、ドカン、と来ました。こちらもタクシー、ぶつかった方もタクシーでした(向こうは回送中でした)。
首が痛んだとかではないので、さらに別のタクシーに乗り換えてホテルに向かいました。
今度は6月20日の夜、大学から自宅への帰り道、国道16号線(大和バイパス)の赤信号で止まっていたところを、
またまたいきなり追突されてしまいました。
相手は、「ああー、どうもスミマセンっ!」みたいな感じの人の良さそうな方でしたので、
連絡先を聞いて、あとはこちらのトヨタと、あちらの保険会社さんの交渉ということになりました。
私のクルマは、トヨタが所有の個人リースです。見た目にはそんなにダメージはないように見えたのですが、
トヨタに持って行って見てもらったら、やはりバンパーが少しゆがんでいました。
1ヶ月あまりのうちに2回も追突されました。
神社にでも行って、厄払いのお祓いとかしてもらった方がいいのかも知れませんね。
【2016年7月~】 .
6月末の、慈恵医大病院消化器外科での3ヶ月に一度の血液検査で、信じられないような数値が出てしまいました。
ガンマ-GTP 280(正常値:12~65)
総コレステロール 241(正常値:120~219)
中性脂肪 605(正常値:30~149)
空腹時血糖 131(正常値:65~109)
マジでビックリです。特にガンマ-GTPと中性脂肪の値がぶっ飛んでます。
これはヤバイです。このままだと肝硬変一直線、みたいな数値です。
血糖値は、ヘモグロビンHbA1ctが「5.0」(正常値は4.6~6.2)なので、
いつも高いとは限らず、この時だけチョイ高だったのですが、
それ以外の数値が危険水域でした。まぁ、検査の前の晩に虎ノ門でガンガン飲んでたということもあったのですが(笑)。
それにしても、これではイカンと思って、7月1ヶ月の間、禁酒とダイエットにはげみました。
ダイエットは、炭水化物をなるべく摂らない、いわゆる「糖質制限ダイエット」です。
朝は普通に食べます。でも昼と夜は、なるべくご飯、パン、麺類(パスタ類を含む)を食べないように心がけました。
するとどうでしょう、61キロあった体重が、どんどん減っていきます。
毎朝体重計に乗るたびに、ズン、ズン、ズンっと体重の数値が減っていきました。
1ヶ月後の8月の始めには5キロ減って、56キロを切りました。
この時点で、かかりつけの近くのクリニックにて再度血液検査をしたら、
上記の異常な数値は、すべて正常値になっていました。これもまたビックリでした。
血圧も、一時は上が200越えでしたが、それも120前後ですっかり落ち着きました。
ウエストも5センチ縮まりました。
「糖質制限ダイエット」の効果は絶大です。
これはリバウンドの危険も大きいと言われているので、気をつけながら、徐々にご飯とかパンを食べるようにしています。
もうパスタをがっつり全部たいらげるとか、丼物を完食する、なんてことはしません。
「主食」を食べずに、「おかず」ばかり食べるというのは、なかなか「食べた感」がないのですが、仕方ありません。
アルコールは、寝酒を避ける以外には、特に制限なく飲みます。
こればっかりは、残念ながらやめられません(笑)。
【2016年9月~】 .
夏休みもばたばたと過ぎてゆき、9月になりました。
今年の9月は、学科の「ヨーロッパ実地研修旅行」の引率で、南フランスのコート・ダジュール、プロヴァンスとパリに約2週間、
学生を20人連れて行きました。
今年のフランスは、一連のテロの影響で、日本人観光客が激減していました。
ネットなどでは「半減」と報じられていますが、現地でお世話になった日本人ガイドの方によると、実際は7~8割減少しているようです。
アメリカ人観光客も減っていますが、まぁこれは予想通りです。中国人は微減で、韓国人観光客はほとんど減っていないか、
むしろ増えているようでした。
実地研修旅行は、南フランスではコート・ダジュールのニース、エズ、モナコ、グラース、
プロヴァンスのアルル、エクス、マルセイユ、ポン・デュ・ガールなど。パリでは4泊し、その間、自由行動の日を設定したほか、
有名なモン・サン・ミシェルに一日の日帰りツアー、ヴェルサイユへの半日ツアーを企画しました。
パリからモン・サン・ミシェルへの日帰りバスツアーの場合、仮に日本人観光客が最悪8割減っているとすると、
単純計算で、例えばこれまで5台走っていたパリからのチャーターバスは4台が、客がいなくて運休することになります。
バスが4台仕事がなくなると単純に4名仕事がなくなる、というわけではありません。
モン・サン・ミシェルくらいの長距離になると、運転手は途中交代のため1台につき2名です。さらにバス1台にガイドが1名乗ります。
計3名×4台=12名が仕事がなくなることになります。4名だけではないのです。
さらにそのバスの整備とかさまざまな関係で、それ以上の人数の仕事がなくなります。
モン・サン・ミシェルへの毎日のバスツアーは、5台どころではなく、もっとあったでしょう。
さらにパリからのバスツアーはモン・サン・ミシェルだけではありません。
ヴェルサイユ、ロワールのシャトー巡り、ブルゴーニュワイン巡り、フォンテーヌブロー、シャルトル、ノルマンディー、ベルギー方面、印象派ツアー、
それにパリ市内のさまざまなツアーなどなど。
日本人観光客のためのバスツアーだけで、星の数ほどあるわけです。
それが「8割減」だと、全体でいったいどれくらい現地の人たちの仕事がなくなっていることでしょう。
パリでは、日本人観光客に関連する旅行・観光業でのものすごい「レイオフ」が進行しているとのことでした。
早く日本人観光客がパリに戻って来て欲しい、という現地観光業の声は切実です。
もしもこのまま新たなテロが発生しなければ、来春にはなんとか戻るのではないかと思われますが、
しばらくの間は低迷状態が続くのかも知れません。
ヨーロッパ実地研修、モン・サン・ミシェルにて(2016年9月13日)
【2016年11月~12月】 .
今年も早いものでもう冬の卒業論文提出の時期になりました。
今年度の卒論のテーマは次のようなものでした。
ヨーロッパの絵本の歴史
ワーグナーと反ユダヤ主義
戦争プロパガンダについて
オリンピックの歴史と今日的課題
吸血鬼とは何か
ヨーロッパにおける入浴の歴史と公衆衛生の誕生
パスタとその歴史
人魚伝説とアンデルセンの人魚姫
オーストリアの皇妃エリザベート
紅茶の歴史
ヨーロッパにおける高速鉄道とその未来
月の文明史
印象派の中の女性画家
ヨーロッパと日本の児童文学の比較研究
私のゼミでは全員無事に提出にこぎ着けました。12月20日の卒論提出の最終締切り日の夜には
3年生と4年生と大学院生、そして卒業生などで、クリスマスパーティーを町田のレストランを貸し切りで開きました。