2012年1月~/闘病記



【2012年1~2月】                               .
 2011年の冬、町田の自宅近くの「Sクリニック」でたまたまやった胃カメラで、十二指腸に腫瘍があるのが見つかりました。

 自覚症状はまったくありませんでした。毎年この「S・Jクリニック」(横浜線町田駅のビルの中にある)で胃カメラを自主的にやっていました。
 この冬の胃カメラのあと、「S・Jクリニック」から自宅に電話がありました。
 「ナカガワさん、胃カメラの検査の結果が出てますので、
必ずその結果を聞きに来て下さい」と言われました。
 普通、病院から「検査結果を必ず聞きに来い」なんて連絡はありません。
 
これはヤバイと思いました。

 「S・Jクリニック」のS・J先生、診察の開口一番「
あー、ナカガワさん、見つかっちゃいました~」。

 さらに精密検査をした方がいいということになったのですが、その胃カメラをやってくれた先生が、
東京の「慈恵医大」が本務の先生だったので、その「
慈恵医大」の消化器内科を受診しました。
 そして2012年の1月に特殊な内視鏡による検査(真横を観察可能な内視鏡と、超音波内視鏡)をやりました。
通常の胃の内視鏡よりは太いらしいのですが、鎮静剤の注射のおかげであまり何も憶えていないうちに終わりました。
 その結果、腫瘍は「
十二指腸乳頭部(ファーター乳頭部)」にあること、その腫瘍を本体として
そこからまるでオタマジャクシのシッポのように腺腫が十二指腸の表面を約5センチ伸びているということが判明しました。

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 「十二指腸乳頭部」というのは、膵臓からの膵管と胆嚢からの胆管が十二指腸に合流する出口の部分で、
要するにいろいろな消化液が合流する重要な部分です。
 腫瘍がその部分だけだったら内視鏡による手術で切除可能だったのですが、問題はそこから数センチ伸びる
「オタマジャクシのシッポ」の部分の存在で、内視鏡手術ではその「シッポ」まできれいに取り切れないとのことでした。

 もしも取り切れないで残してしまった場合、そこに悪性のがんがあったり、あるいは将来悪性化した場合は、
結局開腹手術するしかないので、それなら最初から開腹手術できれいに取ってしまった方がいいと言われました。

 また、「オタマジャクシ」の頭にあたる腫瘍の本体部分についても、内視鏡で一部分取ったものについては悪性ではないが、
それはあくまで組織の表面をちょこっと取って調べただけの話で、中の方に悪性のがん細胞が含まれている可能性も
否定できないとのこと。
 こうしたことを聞いて、まあそう言われればその通りだなと、私にも思われました。


 ということで、消化器内科から、今度は外科(
肝胆膵外科)に回されることになりました。
「肝胆膵(かん・たん・すい)外科」というのは、いかにも何だか恐ろしげな名前です。

「かん・たん・すい外科」……。

できれば一生関わり合いになりたくないところです。
それがあれよあれよという間にそこのど真ん中を行くような患者になってしまいました。

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 「慈恵医大」肝胆膵外科での私の主治医(執刀医)は、M先生です。消化器内科からこのM先生を指定で回されました。
この領域では、日本でも有数の名医とのことです。そしてこのM先生による手術で、十二指腸の腫瘍を取ってしまうことになりました。

 M先生には「ナカガワさん、これで何もせずに放っておいたら、
早ければあと2~3年で取り返しがつかないことになりますよ」と言われました。
少なくとも「
平均寿命までは絶対に生きられない」とも言われました。


 さて「取ってしまう」と言っても、そんなに簡単なものではありません。
 私の場合は、これまでのいろいろな検査で、腫瘍は良性である見込みが高いが、施す手術としては、結局のところ、
悪性のがんの場合とまったく同じ術式で、十二指腸とその周囲をガッツリ取ってしまう
膵頭十二指腸切除術」になるとのことでした。
 この「膵頭十二指腸切除術」(PD)というのは、消化器領域の外科手術の中では最も難しい「
高難易手術」に入るものです。

 切り取る範囲もかなり広くて、十二指腸全部、胆のう全部、膵臓の一部、胃の一部(出口のところ)を切り取り、胃と小腸を直接くっつけます。
 しかし「慈恵医大」はこの「膵頭十二指腸切除術」ではわが国でもトップクラスの成績をあげていて、
そのリーダーとも言える外科医が私の主治医のM医師です。これはもう安心して腹をくくって手術を受けるしかあるまいと、
変な言い方ですが、思いました。手術は2012年3月26日と決まりました。
←東京新橋(御成門)にある慈恵医大病院外来棟


【2012年3月1日~19日】                               .
 手術までまだあと2ヶ月あるので、当初から予定していた3月の南仏行きを予定通り実行することにしました。
どうせそのまま家にいても「ああ、あと×週間で手術か~」などと考えながら悶々とするだけなので、それなら南仏にいる方が気が紛れるし、
それに、いったん手術を受けたら、これまでのようにそうそう簡単にはフランスに行けなくなるかも知れません。行けるうちに行っておこうというわけです。

 今回はヴォークリューズ県東部~アルプ・ドゥ・オート・プロヴァンス県と、ドローム県中部~北部のうち、これまで訪問できていないロマネスク聖堂を巡りました。
この中でもドローム県北部、すなわちヴァランス(Valence)以北は、全然未踏状態だったので、今回特に力を入れて回りました。
それに加えてちょこっとだけ、ローヌ河を渡ってアルデッシュ県(Ardeche)にも行ってきました。
 ドローム北部の紹介は別の機会に譲るとして、以下は、ドローム中部から一カ所だけご紹介です。

     
 サン・マルセル教会(Eglise St-Marcel)    ソワイアンのシャトー


 写真左側は、ドローム県中部のモンテリマール北東部のソワイアン(Soyans)の断崖の上にあるサン・マルセル教会(Eglise St-Marcel)です。12世紀のもの。
サン・ マルセルは、ドローム県中東部のディー(Die)の5世紀の司教とされています。この聖堂に関する記述は912年の記録にすでに現れます。
内部は二つのベイからなる単一身廊で、半円形の後陣はルビオン渓谷を見下ろす断崖に面しています。17世紀~18世紀に四角い鐘塔が付け加えられました。
訪れたときはかなり風が強く、一歩間違えればこの断崖から下に落ちてしまうのではないかとヒヤヒヤでした。

 サン・マルセル教会のすぐ隣にあるのが、ソワイアンのシャトーの廃墟です(写真右)。
もとは10世紀にまでさかのぼる城塞ですが、その後めまぐるしく所有者が 変わったようで、1540年にはフランス国王アンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワ チエが買い取っています。
しかしこの有名な女性がこのシャトーに滞在したとい うことはありそうにないと言われています。17世紀にはルイ13世が取り壊しを命 じますが、その時はなんとか破壊を免れたようです。
しかしフランス革命のあと、少しずつ荒廃し、1796年に火災で廃墟と化しました。今から数百年も昔、このシャトーにいた領主たちは、ここの窓から広大な眺めを見ながら、
毎日いったいどんなことを考えていたのでしょうか。

 今回の南仏滞在中は、ほぼ晴天続きで、気温も温暖で、大変に快適でありました。
青い空と美しい風景を見ながら、それでもやっぱりこのあとの入院・手術のことが頭をよぎります。
しかしまぁ、それは致し方ないことです。その苦難を乗り切って、またぜひこの場所に来たいものだと、あちこちで思っていました。
これだけ数多くの教会やら聖堂やらを、まるで中世の巡礼のように片端から訪れているのだから、
キリスト教の神さまも、聖母マリアもキリストも、きっと助けてくれて、手術も無事に終えることができ、快復することだろう、
なーんて勝手に自分自身に言い聞かせていました。

 あとは、術後はしばらくの期間は禁酒になってしまうので、思い残すことなくあちこちで飲みました(笑)。
それこそ毎晩ビールとワインです。といっても、もともとそんなに量が飲める方ではないので、たしなむ程度ですが、それでも楽しい日々でした。
一日かけてあちこちのロマネスク巡りをして、夕方ホテルに戻ると、なにはさておき、まずはホテルのバーでプレッション(生ビール)です。
その瞬間は、何ものにも代え難いすばらしいひとときでありました。

【2012年3月23日~】                               .
 フランスから帰国したのが3月19日で、その2日後の21日に「麻酔科」と「肝胆膵外科」の術前の診察。そして23日(金)に入院しました。

 朝の10時に入院したのですが、その日も含めて、その後の土曜と日曜は特に何があるというわけでもありません。時々、薬剤師さんとか外科の
 医師とかが術前のあれこれの確認に来られます。病棟の看護師さんとか手術室の看護師さんとかも来られました。
 夕方、執刀医のM医師から、私と家内に、今回の手術についての説明がありました。

3月24日(土)
 帰国してまだ続いている時差ボケのためか、昼間から眠くてウトウトしながら病室で一日を過ごしました。

病室のネームプレート


3月25日(日)
 基本的には特になにもなく一日を過ごしましたが、午後から下剤(ニフレック)を飲みました。
 大腸カメラやる時に前処置で飲むあれです。夜は流動食(エンシュア・リキッド)でした。
 夜、病室のテレビのCSで「キル・ビル2」をやっていたので、ボーッと見てしまいました。
 大手術の前の晩に「キル・ビル2」かよ、って感じですね(笑)。

 今日は大学は卒業式(学位授与式)と卒業パーティーです。みんな無事に卒業していったことでしょう。
 卒業生のみなさんの晴れ姿が見られなかったことが残念です。


3月26日(月)
 朝の6時に当直の看護師さんが体温、血圧、血糖値をはかりにきました。もう水も飲めません。7時には手術用のタイツ(血栓防止用)をはきます。
 8時過ぎに病棟からオペ室に誘導する看護師さんとともに4階に下ります。「慈恵医大病院」は、4階に手術室があります。
 家族の見送りも4階の手術区域の外までです。
 手術エリアの中に入ると、そこはちょっとした手術前の待合スペースになっていて、
 なんと、同じように手術着を着てこれから手術を受ける患者さんが、自分以外にもいっぱいいるではありませんか。
 
まるでラッシュです。
 消化器とか整形外科とか、いろんな科の患者さんが今日一日でこんなにたくさん手術を受けるのかと思いました。
 でも、きっと自分が一番長時間かかり、大変な手術なんだろうな~、
 なんて思っていると、いよいよ自分の担当の手術スタッフがお迎えに来ました。

 自分は確か第17手術室だったと記憶しています。そこまで手術スタッフとてくてく歩いて行きます。
 手術室に入ると、そこはテレビとか映画とかでよく見る、いわゆる「手術室」そのものでした。
 ちょっと広めの部屋、天井には丸い大きなライト、中央にベッド、その回りにいろいろな器具とか機械類……。


手術室。慈恵医大のHPから。ただしこれは心臓外科のものですが、 基本はだいたい同じような感じですね。

 うわぁぁぁ、ここで自分のお腹が切り開かれるのかぁ、
 なんていう思いが一瞬脳裏を横切るか横切らないかするうちに、
 看護師さんに「はい、ナカガワさん、それじゃ、このベッドに横になって下さいね」「はい、これから背中に麻酔しますから右側向いて下さいね」と言われ、
 あとはもう「まな板の上のコイ」状態、あるいはベルトコンベアに乗せられた機械状態です。
 あれよあれよという間に背中に「硬膜外麻酔」のチューブを入れられ(それを入れるための麻酔注射がちょっと痛かった)、なんとなくボーッとしたかと思うと、
 麻酔科の医師が「はい、ナカガワさん、これから全身麻酔かけますよ、マスクしますから大きく息吸ってね~」と言い、マスクが顔に当てられます。

 実は、
全身麻酔で意識がなくなる瞬間みたいなものってどんなだろうと密かに思っていたのですが、
 マスクを当てられて、「なんかガスみたいなニオイがするな~」と思った次の瞬間には、
 「はい、ナカガワさん~、手術終わりましたよ~」と言われて、
 8時間近くかかった大手術がすべて終わっていました。

 麻酔のおかげでまだウトウトしながら、集中治療室(ICU)に運ばれました。
 しかしその後、さらに麻酔が抜けたあとが、これがなかなか良くありません。ものすごい悪寒です。とにかく寒くて寒くて寒くて寒くて、
 体がガタガタと震える震える震える震える。
 自分でも「ううう~、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い」を連発していました。
 でも確かにこの時に計った体温は39.6度でした(看護師の誰かが言っているのを聞きました)。

  
※私がこの時「寒い寒い」を連発していた時に、担当の若い女性の看護師さんが「ハイハイ、分かった分かった」って、
    なんだか投げやりに「
まったくしょーがないなー、この患者は!」みたいな感じで言われたのが、いまだにとても残念な記憶として残っています。
    その看護師さんにとっては、恐らく私はこの手術を受ける多くの患者の一人に過ぎないのでしょうが、
    しかし私にとっては人生の一大事なのです。生死をかけた一大事なのです。
    慈恵医大病院のほとんどすべてのことはとてもいい思い出なのですが、このひと言だけが、いまだに実に残念な記憶です。
    そしてたったそのひと言だけが、患者にとって、実は長く記憶に残ってしまうものなのです。
    スミマセン、しょーもないグチでした。


 さて、その日の夜は、キズだかお腹の中の胃だか、何だかよく分かりませんが、とにかく痛みが強くて、しかも1時間おきくらいに目が覚めて、
 あんまりよく寝られませんでした。翌日、ICUから病棟の病室に戻りました。


3月27日(火)
 体中にいろんなチューブが入っています。左腕には点滴、首には栄養チューブ、鼻から胃の中へ胃液を吸い出すチューブ、
 お腹には右側と左側にそれぞれ1本ずつ。さらに導尿のために尿道に1本。痛みのコントロールのために背中に硬膜外麻酔のチューブ。
 まるでいわゆる「
スパゲッティー状態」というやつですね。前日の「胃痛」らしき痛みが続いていたので、ガスターの点滴もされました。

 ちょっと寝返りをうったり、身動きをしただけで、開腹したお腹のキズが痛いったらありゃしません。
 人間、ちょっとした動作だけでもいかに腹筋を使っていたのかということがよく分かりました。
 というか、およそあらゆる動作に腹筋が関わっているのだということを思い知らされました。

 体温はまだ38度台が続いています。にも関わらず、手術の次の日には、もう歩かされました。しかも体のあちこちにチューブをいっぱいぶら下げた状態で。
 でも、とにかく一日でも早く起き上がって歩くことが大切なのだとか。早期離床、早期回復だそうです。
 しかしさすがにこの日は看護師さんに手伝ってもらってベッドから立ち上がったのは良かったのですが、病室から廊下に出たところで、
 すぐになんだか気持ち悪くなってしまい、早々にベッドに戻りました。


3月28日(水)
 体温はあいかわらず高く、脇腹の痛みが増しました。夜は4時間くらいしか寝られませんでした。でも日中の痛みはかなり和らぎました。

←病室からのながめ。右は東京タワー、左は増上寺。

3月29日(木)
 夜中から下腹部の痛みが始まり、痛くてあまり寝られませんでした。
 毎晩夜中になるとズキズキ、ギューという痛みです。まさに無間地獄みたい。昼間は何にも痛まないのに、なんで夜になると痛み始めるのでしょうか?
 昼間は前夜の不眠と、点滴されている抗生剤と熱のためにボーッとしていました。時々うつらうつらと寝るといった感じでした。

 でもこの日は午前中ナースステーションまで歩いて一往復し、午後は病室のある10階をぐるっと歩いて回りました。
 いろんなチューブとか点滴台を引きずりながら、たどたどしくはうように歩きました。
 この日は術後のチェックのためということで、レントゲンを撮影しに行きました。撮影台に横になったりそこから起き上がったりするのがひと苦労でした。

 全身麻酔の影響でしょうか、目をつぶると世界がグラーッと回ります。また夜寝ていて、ひんぱんにブルブルッと体が震えて目が覚めてしまいます。
 手や足だけがブルブルッと震えることもしばしばです。確かに体温が高めだということもありますが、例えば風邪引いて熱がある時でも
 こんな手足の「震え」で寝られないということは今までありませんでした。
 術後何日もこの「震え」に悩まされ、あまりよく熟睡できませんでした。


3月30日(金)
 夜は相変わらず1時間とか2時間おきに目が覚めます。体温がようやく37度くらいに下がりました。
 執刀医のM先生が様子を見に来られました。
 M先生によると、手術は全体としてうまくいったとのこと。

 ただ
私の胆管は、他の人に比べてものすごく細かったそうで、顕微鏡つけて縫い合わせるのに、
 通常の場合よりもさらに2時間とか余計にかかったそうです。
 先生いわく「いやぁ~、ナカガワさんの胆管縫合は、ワタシのこれまでの外科医人生の中でもかなり大変な部類でしたよ~」。
 M先生、どうもありがとうございました。

 術後の状態については、「見た感じも、検査のいろんな数値も悪くない。あとは90%あなたのがんばり次第ですね」とのお言葉。
 午前中に造影剤を注射してのCT検査。この造影剤の注射の針がすっごく長くて痛い。
 造影剤が血管の中に入ってくると、体がカッと熱くほてる感じ。
 夜の血糖値が200になりびっくり。
 血糖値を計った看護師さんによると、栄養補給のための「高カロリー輸液」のためだとか。


3月31日(土)
 この日から、流動食となりました。ほとんど内容物のない液体みたいな食事ですが、
 それでも食べるとそのあとお腹がギュルギュルと音をたてて動き始めるのが分かります。
 依然として37度少しの微熱が続きます。体もだるく、何かをしようという気になかなかなれません。
 実は入院中に読もうと思って持ってきた本とかあったのですが、文字を読み続けようという気力がわいてきません。
 パソコンでメールを打つのも、とてもおっくうです。

 この日の夜、背中につけた硬膜外麻酔の麻酔薬がなくなってしまいました。
 そのまま明日、硬膜外麻酔のチューブを取り外す予定だったみたいです。
 しかしお陰で、ヘソから胃のあたりにかけてのキズの痛みが一晩中続き、大変につらい一夜を過ごすことになりました。
 鎮痛剤の点滴を入れてもらいましたが、全然効きません。
 看護師さんが「また麻酔薬を入れてもらうかどうか、明日の午前の回診の時に先生に相談しましょう」とのこと。
 でもその「明日の回診」まであと8時間とか10時間とかあるではありませんか。
 とにかく痛い痛い痛い痛い痛い……。
 5分が1時間にも感じられる時間の経過の遅さ。
これまでの人生で最もつらく苦しい一晩を過ごしました。


4月1日(日)
 痛みに苦しみながらもようやくうつらうつらしたりしながら、やっとこの日の回診。
 この日の回診担当のお医者さんは結構ひょうきん系。
 「ああ~、痛かったですかぁ~、それじゃあもう一日追加しましょうね~」
 とのことでもう一日硬膜外麻酔の追加。
 多少痛みが和らぎました。さらにその翌日、硬膜外麻酔のチューブを抜かれましたが、その時には結構痛みも治まっていました。
 またあの痛い夜がやってくるのではないかとヒヤヒヤしました。


4月2日(月)
 朝、ベッドに起き上がってヒゲをジージー剃っていたら、主治医のM医師登場。
 膵液漏などの「早期合併症」もなく、全体的に順調だとのこと。
 首につけていた「高カロリー輸液」の点滴がはずされ、少し身軽に。
 看護師さんに「お腹があんまりちやんと動いていないようなので、たくさん歩いて下さい」と言われました。
 四肢がいきなりブルッとふるえるのはまだ続いていて、なぜか突然発汗したりします。手術の影響か、麻酔の影響か、よく分かりません。


4月3日(火)
 朝食が少しおいしくて、つい食べ過ぎてしまい、お腹がはって苦しかったです。
 午前中は病棟内を歩いたりして過ごし、午後はやはり歩いたり、病室でテレビを見たり、ウトウト昼寝したり。
 東京はこの日は夕方から暴風雨となりました。NHKなどはずっと気象関係のニュースを流していました。
 交通機関にもかなり乱れが出たとのことでした。


4月4日(水)
 ベッドから起き上がったりする時の痛みは、痛いのは痛いけれども、でも確かに少しずつ軽くなっているような気がします。
 昼食はおろしハンバーグ。ちょっとおいしくて食べ過ぎたらとたんに苦しくなってしまいます。
 体中に入っていたいろんなチューブも、この頃にはずいぶん抜かれて、身軽になっていました。
 M医師から、全体的に順調なので日曜には退院ということにしましょう、と言われました。通常は3週間の入院ですが、2週間で退院となりました。
 あともう一週間くらいゆっくりと病院にいたかったくらいですが、とっとと追い出されることになりました。
 でも、そのほうが、カラダ的にも、気持ち的にも、早く回復が進むということなのでしょう。


病室のある外科病棟10階。この廊下を一生懸命歩いてリハビリしました。



4月5日(木)
 午前の回診の時、28針縫ったキズの半分の抜糸をしました。
 正確には「抜糸」ではありません。
 キズをふさいでいるのは実は「糸」ではなく、ホッチキスなんです。というか、金属の小さな輪っかなんですね。
 だから「抜糸」ではなく「抜去」です。「ペンチ」みたいなもので、パチッ、パチッと金属の輪を切って取り除いていきます。
 いかにも痛そうですが、実はあんまり痛みは感じませんでした。


4月6日(金)
 病室から見える増上寺の満開のサクラがきれいでした。
 主治医のM医師から「手術で切除した腫瘍を詳しく調べたが、悪性のがんは見つからなかった」と伝えられました。やれやれ、良かった良かった。
 体の中の爆弾の心配はこれでとりあえず当面の間はなくなりました。

 でも「
前ガン状態の腺腫」であったとのこと。何も知らずに放っておいたら、あと2~3年で悪性化した可能性が結構高く、
 場所が場所だけにいったん悪性のがんになったら、すぐにあちこちに転移し、
 もうどうにもしようがなくなっていたのではないかとのことでした。
 「
へたしたらあと2~3年でした」などと言われると、何とも恐ろしい話です。
 たまたまですが、早めに見つかり早めに処置できたのが不幸中の幸いであったと言えます。


4月7日(土)
 午前中の体温が、ようやく平熱に戻りました。体調も悪くなく、術後はじめてシャワーを浴びました。
 シャワーを浴びるのがこんなに気持ちが良いものだとは思いませんでした。夕方からまた少し熱が出ました。


4月8日(日)
 昼食を食べた後、「膵管チューブ」を付けたまま退院となりました。
 2週間後の診察までは、自宅にて「膵管チューブ」を消毒したり、膵液を捨てたりしながら過ごすことになります。
 慈恵医大病院から町田の自宅まで家内とタクシーで戻りました。春うららかなよく晴れたのどかな日でした。
 外の世界が本当にまぶしいと感じました。このあと2週間近く、自宅療養です。



退院の日。ナースステーションの前で。やせて何だか人相まで悪くなった……。



【2012年4月9日~】                                    .
 自宅療養といっても、特に何をするというわけでもないのですが、だからと言って何かできるわけでもありません。
 リハビリのために町田のマンションの回りを歩く以外は、寝たり起きたりの毎日です。
 それでも身動きするとキズは痛いし、食事も不自由です。
 食事は一回に食べられる量が少ないので、一日に何回にも分けて食べます。
 食欲自体はあるので、ちょっと食べ過ぎると、とたんに苦しくなります。早食いもダメです。

 痛みは大きく分けて、2つです。キズ自体の痛みと、中の胃腸の痛みです。
 キズの痛みは、横になったりして何もしないで動かないと特に痛むということはもうありません。でも身動きするととたんに痛みます。
 机に座ってパソコンしたり仕事をしたりする前かがみの姿勢から立ち上がったり背中をのばしたりすると、
 縮んだ状態で固まったキズをいきなりググーッとのばすことになり、突っ張った感じがして痛みます。

 お腹の中の痛みの方は、十二指腸とその周辺をガッツリ取った後で胃腸を無理矢理くっつけてあるためか、
 食べ物を食べた後とかギュルギュル動いたり張ったりします。
 大腸の動きも悪くて、結構痛みます。もっと上の胃のあたりがギューと痛むこともあります。

 
しょっちゅう下痢をします。とくに朝です。朝食を食べるとすぐに下痢です。
 この手術では、大腸に関わるリンパと神経叢を取り去ってしまうために、腸の動きがうまくコントロールできない。
 下痢はつきもののようなので、まあ想定内なのですが、
 それでもこの下痢が原因で、体重がどんどん減ります。
 手術前は58キロ近くあった体重が、みるみる落ちて、退院後2週間で50キロくらいまで減りました。

 鏡を見たら自分でもビックリするほどゲッソリしました。
まるでホンモノの末期がん患者みたいに見えます。
 見た目も十歳くらい歳を取ってしまったような感じです。
 着ていた服もズボンもなんかブカブカになってしまいました。
 すごく油っぽいものを除いては、特に食べてはいけないというものはなかったのですが、
 とにかく何を食べてもやせます。
 以前は、いかにダイエットするか、いかにやせるか、ということに頭を悩ませていたのに、
 今ではいかに太るかということで悩んでいます。思えば変な話ですね。

 さすがにアルコールは飲めません。主治医のM医師からは、秋くらいには少しずつ飲めるようになるでしょうとは言われていますが、それにしてもなかなかツライです。
 これから暑い夏が来るというのに、ビールが飲めないというのは残念なことです。ああ、ビールとワインが飲みたい、と思いながら過ごしました。
 一日に1~2回ほど、リハビリのために自宅マンションの周辺を歩きました。

 
外の世界はキツイです。
 町田は若者のあふれる街です。町田にあふれる人々(特に若者たち)は力とエネルギーに満ち満ちています。
 健康なときはそんなことちっとも考えないですが、病気になると分かります。
 周囲にあふれる力とエネルギーは、とても疲れます。街自体も疲れます。
 文明というものは、健康な成年男子のために作られたものだと言われたりしますが、まさしくそのことを実感しました。
 文明というものは疲れるものです。
 早くその疲れを感じないようになるまで回復したいものです。


【2012年5月~】                                          .
 2週間の自宅療養のあと、職場復帰しました。
 いつまでも休んでいられないので、少しずつ慣れていき、5月の連休明けにはそれなりに元に戻していかなければなりません。
 自分がいない間に学科のいろいろなことがストップしたままだったので、それも何とか元のように動かしていかなければなりません。
 講義も立って行なうのはつらいので座ってです。黒板に思うように板書できません。特に背中を伸ばして肩よりも上の方に書くのは無理です。
 大きな声を出すのがなかなかキツイです。声を出すのは、とても体力が必要です。

 ネット通販で安いリクライニング・アームチェアーを買って研究室に置きました。
 授業のない空き時間とかはそれに横になって休みます。
 一日が終わるとグッタリです。
 一週間のうちでも一番キツイのは火曜日で、朝の1時間目から始まり、終わるのは夕方の18時過ぎです。
 家内からは「とても膵頭十二指腸切除後1ヶ月ちょっとの人がやるスケジュールではない、何とかならないのか」と怒られました。
 自分でもそう思います。

 6月になって、用事で東京の目黒に行くことがありました。
 土曜日のことでした。帰りは夕方の目黒から新宿経由で帰りました。土曜の夕方の混み混みの山手線、ごった返す新宿駅のホーム。
 
ああ、なんという世界だと思いました。
 
 こちらはたどたどしくゆっくりとしか歩けません。
 でも周囲の人混み(特に若者たちの群衆)にせき立てられるように、押し流されるように、無理無理に歩きます。
 しかも次から次へと電車がホームに入ってきて無限に人びとをはき出していきます。
 大都市に渦巻くエネルギーとその情け容赦のなさ。
 ああ、なんという世界でしょう。
 繰り返しますが、「
文明というものは疲れるもの」です。
 健康でなければ、若くなければ、大都市の文明の中では生きていけません。

 6月も半ばになると、体重がとうとう50キロを切ってしまいました。
 主治医のM医師によると、「そろそろ下げ止まるころ」とのことですが。
 食べる量は、2ヶ月前、1ヶ月前に比べると、少しずつ増えてきましたが、
 しかし下痢は相変わらずです。毎日、
朝食を食べるとすぐに下痢です。
 下痢が減ると、少しずつ体重も戻っていくのではないかと思います。
 まぁ、半年とか数ヶ月とかのスパンで様子を見るということになるでしょう。

 身動きするとキズはまだ痛みます。
 座っていて立ち上がると結構きます。これも最低でも半年は続くそうです。
 胃のあたりの「ギュー」という痛みも、時々襲ってきます。これもまた時間がかかるもののように思われます。


【2012年7月~】                                      .
 術後4ヶ月くらいたつと、キズの痛みはさすがに以前よりは軽いみたい。
 ただし、座って机に向かっている状態から、いきなり立ったりすると縮んでいたキズが急に伸ばされるからか、突っ張った感じがして痛いです。
 7月も終わろうというのに、
下痢は相変わらず。朝食後1時間以内に来ます。その前の日に食べたものが全部出ちゃうという感じ。
 体重は49キロ半ばです。体脂肪率は8~9%で、
スポーツ選手なみです。
 やせて脂肪と筋力がなくなったせいか、腰とかヒザとか、関節が痛みます。
 まだ51歳なのに、まるで80歳とか90歳とかの高齢者みたいに、動作がいちいちのろくて、何をするにも、よっこらしょ、どっこいしょ、です。

 9月に約10日間、「ヨーロッパ実地研修」で、学生を40名引率してヨーロッパに行かなければなりません。
 「星の道サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路をたどる旅」です。
 フランスのトゥールーズから始まって、バスでピレネー山脈を越えてスペインのサンティアゴまで行きます。
 あと1ヶ月くらいしかありませんが、それまでになるべく体力をつけなければなりません。
 
一番の問題は下痢ですね。果たしてどうなりますことやら。


【2012年8月~】                                      .
 8月の半ばに、JK医大外科・主治医のM医師の術後定期診察。相変わらず毎日下痢していること以外は、特に変化なし。
 M医師によると、手術の時に、大腸に関わる神経もかなり取ってしまった。
 その影響で、自分で自分の大腸のコントロールがうまく効かなくなっていて、下痢は仕方がないとのこと。
 食べたものの内容によって下痢するわけではないから、整腸剤とか飲んでもあんまり意味がないそうです。
 この下痢も時間がたつとそのうちおさまるそうです。体重は49キロ台後半でとまったままです。

 この日の診察で、
禁酒が解除されました。
 やれやれ、やっと生きる喜びをかみしめることができます(笑)。
 猛暑の夏なのにビールとか飲めないのがキツかったです。テレビとか見ていると美味しそうなビールのCMって多いんですよね。
 でも、ビールのような炭酸系のものは、お腹にきついので、ワインをチビチビやることにしました。
 M医師からも「スペインでおいしいワイン飲んで、おいしいものを一杯食べてきて下さい」との優しいお言葉をいただきました。

 9月の「ヨーロッパ実地研修」では、南仏のトゥールーズからピレネー山脈をバスで越えますが、ピレネー越えの前に「ルルド(Lourdes)」に寄ります。
 そう、あの奇跡の泉の「ルルド」です。
 ここの奇跡の水を飲むと、少しは病後の体調もよくなるでしょうか? キリスト教徒でない人にも効き目があるのでしょうか?
 奇跡の水をたくさんガブ飲みし過ぎて、逆にお腹を壊してダウンなんてことがないようにしなくてはなりません(笑いごとではありません)。
 出発は9月の4日です。あともう数日しかありません。早く準備を進めなくては。

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