2015年
【2015年1月】 .
「人生最悪の体調不良」に襲われた2014年が終わり、「ベンゾジアゼピン」の減薬・断薬をへて、2015年に入ると、体調はかなり回復しました。
ただ、それは決して直線的な回復ではなく、しばしば「揺り戻し」もありました。
上半身のシビレ感や、ざわつき感、頭の膨熱感が、時々思い出したように襲って来ました。
それまで使っていたスマホが、いきなりシャットダウンするということが頻繁に起こるようになり、思い切って機種変更しました。
「AQUOS PAD」というタブレットですが、なんと電話機能もあり、さしずめ「画面がデカいスマホ」みたいな感じです。
本の新書と同じ大きさです。でもこれくらい画面が大きい方が見やすくていいです。電話も出来るし。
電池の減りもこれまでのスマホとは比べものにならないくらい少ないです。
【2015年2月】 .
新薬の「ベルソムラ」ですぐに寝られる日と、なかなか寝られない日が繰り返します。
あと、この「ベルソムラ」は、ネットの世界でもあれこれ言われているように、夢を見ます。
ストーリーのちゃんとした長い夢です。世間では「悪夢」を見ると言われていますが、私の場合は、悪夢の場合とそうでない場合と、いろいろあります。
巨大なハチに襲われる夢とかありました。これはまさしく悪夢ですね。
自分しか知らないような、南フランスの片田舎のすばらしい中世ロマネスク教会を見つけて、得意になってそれを調査していたら、
そこにいきなり日本人団体観光客がバスで乗りつけてドドーッとやってくる、という夢も見ました。これもまぁ「悪夢」なんでしょうね(笑)。
2月末に、一人で香取市の伊能忠敬記念館へ行きました。
伊能忠敬は、最近私が尊敬する人物の一人です。彼は江戸時代後期に日本全国歩いて測量し緻密な地図を作ったことで有名ですが、
忠敬が、一番最初に第一次測量として蝦夷へ向けて出発したのは、なんと彼が55歳の時でした。
それから15年かけて、自分の足で一歩一歩地道に歩き続けて偉業を成し遂げたわけです。
その測量のためにコツコツと歩き続けた彼の仕事と、とてもおこがましいのですが、自分の南フランス・ロマネスク巡りの仕事が重なります。
コツコツと地道に、しかも片っ端からほとんどすべての南仏のロマネスクを訪れて調査すること。
しかも私の54歳という年齢と、忠敬の55歳という年齢も近いです。彼は55歳から始めたのです。
自分もまだまだこれからだという勇気をもらえる気がします。
伊能忠敬記念館 | 伊能忠敬旧宅 |
【2015年3月】 .
しばしば昨年のような症状の軽いバージョンが襲って来ました。
上半身の弱いザワザワ感、熱感、ピリピリ感、脱力感、頭の膨熱感、アゴのコリなどです。
昨年の一番ひどい時を「10」とすると、「3」くらいでしょうか。
今年の3月は、昨年の体調不良の影響もあって、久しぶりに渡仏せずに国内でゆっくり過ごしました。
そのかわり、九州の北のほうを回って、隠れキリシタンの里とか、平戸や長崎周辺のキリスト教会を訪問しました。
温泉にも入って、養生しました。
【2015年4月~5月】 .
4月になって、新学期が始まりました。
学期始めに、またまた鼻炎から風邪を引きました。
いつもの不定愁訴攻撃は、4月は少し落ち着いていました。
「胃液その他消化液の逆流」は相変わらず時々襲って来ます。
たいていは水をガブ飲みしたらなんとか治まるのですが、たまに断続的に何度も襲って来て苦しい思いをします。
しかし5月は、全体的に体調は落ち着いていました。
【2015年6月~7月】 .
文学部紀要に投稿する「南フランス・ロゼール県北部の中世ロマネスク聖堂」の原稿を毎日少しずつ書きました。
1つの教会・聖堂の解説に1~2日かかります。今回の原稿では、ラングドック地方ロゼール県の最北部の聖堂を24ヶ所取り上げました。
これを皮切りに、ロゼール県から始まって、南仏各県を順次進めて行けたらと思います。
時間がかかる長い作業ですが、まぁ伊能忠敬先生の測量のように、ライフワークのつもりでやっていきたいものです。
なお文学部紀要にはそんなにたくさん写真は載せられないので、そこで採りあげる各聖堂の写真画像は、このホームページの「南フランスの歴史と文化」にて紹介してゆきます。
→「ロゼール県北部のロマネスク聖堂」
このところ、夜に少し酒を飲み過ぎた翌日に、二日酔いのような症状がよく出るようになりました。
ダルくて、めまいがして、体や頭が腫れぼったくて、腕がピリピリです。
まるで昨年のウルトラスーパー不定愁訴みたいではないですか。
ベンゾジアゼピンで打撃を受けた私のカラダは、それ以来、多少酒を飲んだだけでそのような症状が出るようになってしまったのでしょうか?
「ベルソムラ」を飲んで寝た後、ひんぱんに中途覚醒するようになりました。
ひどい時は、23時に「ベルソムラ」飲んで、0時過ぎに寝た後、1時、2時、3時、4時、と1時間ごとに目が覚めます。
「ベルソムラ」による夢も相変わらずです。ミョーにリアルでストーリーの長い夢が多いです。
この前は、皮膚科の病院で麻酔無しで肛門の手術を受けるという夢を見ました。ヘンなの(笑)。
7月初めのある日の放課後、オーバードクターのAB君と、院生のAMさんの二人と研究室で飲み会をしたことがありました。
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリー夫妻の所有する南仏のワイナリーのロゼ(ミラヴァル)を飲んだのですが、
そのあと白とか赤も空けたこともあり、気がついたら23時10分前でした。大学の門が全部閉まるのが23時です。
夜の見回りに研究室まで来た守衛さんに「ええーっ、まだいたんですか?! もう門が全部閉まりますよ!!」と言われて驚きました。
超特急で片付けて、すべり込みセーフで門を出ました。もう少し遅かったら、大学から出られなくなって、一晩中研究室で飲まなければならなくなるところでした(笑)。
ミラヴァル・ロゼ(Miraval, Provence)
昨年のウルトラスーパー体調不良がいきなり悪化したのは、ちょうど1年前の7月半ばのことでした。
なので昨年の7月は具合悪かったです(その後、もっと悪化していくのですが)。
それに比べれば、時々その名残のような症状は出るものの、今年の夏は調子は良いほうです。
ただ、気温が暑くなると、ボーッとして、やはりカラダの腫れぼったさや膨圧感、熱感、ダルさのようなものが増すような気がします。
冬のように気温の低い方が、カラダがなんだかシャキッとして、自分的には調子がいいです。
しかしだからといって、夏の人工的な涼しさを強制的に作るクーラーはいけません。少しクーラーにあたっているだけで、カラダがダルくなります(冷房病)。
建物の中でも、研究室でも、教室でも。あるいはお店や電車の中とか。
油断するとすぐに夏風邪を引いてしまいます。
【2015年8月】 .
8月14日から、家内も連れて南フランスのピレネー東部の中世ロマネスク教会めぐりをしました。
昨年の夏の南仏ロゼール県のロマネスクめぐりは、人生最悪の体調不良のため惨憺たる毎日でしたが、今年はカラダがかなり回復したので、
昨年のようにホテルやレンタカーの中で寝たきりになる、といったこともありませんでした(本当にヨカッタ)。
震えてシビレてフラフラになりながら、1日いくつも教会巡りをするのは、もうごめんです。
今回は、夏ということもあって、冬期や春休みには積雪のために行きにくい、ピレネー・オリアンタール県(Pyrénées-Orientales)の標高の高い地域を回りました。
パリからリヨンをへて、TGVでペルピニヤンまでおりて、そこでレンタカーを借ります。
ピレネーのこの地域は、山間部ということもあって、古いロマネスク聖堂が山や谷のあちこちに点在しています(しかもその数がすごく多い)。
大きさは比較的小ぶりで、素朴な石積み、ポルタイユや軒持ち送りの不思議でかわいい彫刻装飾、ライオンやヒヒなどのオリエントを思わせる柱頭彫刻、
馬蹄形アーチ、聖堂内部に残るキリストや天使たちのフレスコ画、木製のキリスト磔刑像、同じく木製の聖母子座像、などが全体的な特徴です。
また、フランスとスペインの国境にある「アンドラ」(Andorra)という小国にも少しだけ入ってきました。
Lyon/Chatédrale et Manecanterie | Perpignan/Saint-Jean-le-Vieux | Les Cluses/Église Sainte-Marie | ||
Arles-sur-Tech/Abbaye Sainte-Marie | Coustouges/Église Sainte-Marie | Sainte-Marguerite du Col d'Ares |
とにかくピレネー東部地域は、中世ロマネスク聖堂の数が多いのです。
もちろん、すばらしいものからあまりそうではないものまで、いろいろなんですが、それにしても南仏の他の地域の密度(密集度)とは明らかに違います。
しかも、山間地なので、山の奥とか、山の上とかに点在しており、それらを効率よく回るのは、なかなか難しいのです。
山間地の場合、ある場所から別の場所への距離は、地図で見るよりもはるかにあります。とても直線距離では測れません。
うねうねクネクネとした山道・峠道を行くのは大変です。これどうやって対向車と行き違えばいいの?みたいな狭い山道もたくさんあります。
こうして、山間の奥の「ドンツキ」の離れたところにポツンとある場合、その1ヶ所のためだけに、山道を片道1時間とかかけて行くことになります。すごく時間がかかります。
いわゆる「一筆書き」で回れないのです。これが平野部との大きな違いです。
Prieuré de Serrabone(Serrabona) | Prieuré de Serrabone(Serrabona) | Prieuré de Serrabone(Serrabona) | ||
Prunet/Chapelle de la Triniré | Sournia/Chapelle Saint-Michel | Sournia/Saint-Laurent-d'Arsa |
さらにピレネーの山間部のロマネスクは、アクセス困難なものが少なくありません。
しばしばクルマでは行けないような所にあります。クルマを置いて歩いて往復2時間とか3時間とか。
いわゆる「ランドネ」(高地ハイキング)でしか行けないような所にあると、私の場合はもうお手上げです。
一度、ル・テック(Le Tech)の北の奥およそ10キロにある「サン=ギレーム教会」を訪れた時は、意を決して片道およそ1時間弱のひどいダートをクルマで行きました。
四輪駆動のジープならいざ知らず、とても普通の乗用車で行くところではありませんでした。途中で何度も、いったいどうなることかと思いました。
教会の隣に住んでる住民から、よくもまぁこんなところまで来たね、みたいに言われました。
でも、だいたい多くの場合は、これは行けそうにないなというダートは、最初からあきらめます。
Arboussols/Prieuré de Marcevol | Arboussols/Prieuré de Marcevol | Arboussols/Prieuré de Marcevol | ||
Villfranche-de-Conflent/Église Saint-Jacques | Fillols/Église Saint-Pierre | Corneilla-de-Conflent/Église Sainte-Marie |
また、私有(privée)の場合もやはりあきらめざるを得ません。
私有地の敷地内にあったり、その聖堂自体が私有物で、住宅や倉庫として使用している場合があります。
所有者が「いいよ、いいよ、どうぞ見て行きなさいよ」みたいに言ってくれるところもあれば、所有者にケンもホロロに「ダメ」と言われることもあります。
ひとけがない場合は、素知らぬ顔して入っていって写真をパチクリ撮影してこっそり戻る、といったこともあります。
(以上のような「ロマネスクめぐり」についての、より詳しいあれこれは、「省察」の「ロマネスクめぐりについて」をご覧下さい。)
フランスとスペインの国境の間にある小国アンドラにも少し行ってきました。
アンドラは無税天国で、フランスやスペインその他の国々からショッピングのために観光客が押し寄せます。
フランス側からアンドラに入ったとたんに、いきなり何の脈絡もなく、DUTY FREEのショッピングセンター、各種免税店、レストラン、
ホテル、ガソリンスタンドがひしめく世界になります。
Andorra La Vella | Andorra La Vella/Santa Coloma | Alet-les-Bains | ||
Couiza/Château des Ducs de Joyeuse | Couiza/Château des Ducs de Joyeuse |
ピレネーのロマネスク巡りをしたあと、お疲れさまということで、クイザ(Couiza)のシャトーホテル(Château des Ducs de Joyeuse)に泊まりました(写真)。
ルネサンス時代のシャトーをホテルにしたもので、建物の四隅が円塔になっており、私はその円塔の中の部屋に泊まりました。
結構ゴージャスな部屋で、まるでカトリーヌ・ドゥ・メディシスにでもなったかのような気分になれました(笑)。
城の中庭がレストランで、これまたゴージャスな食事を楽しめます。
その後は、モンペリエでレンタカーを返し、翌日パリまで戻り、9月2日に帰国しました。
【2015年12月】
今年も早くも12月になりました。1年前の体調絶不調に比べると、それなりに調子が戻った感じで年を越せます。
12月は卒業論文の提出があります。4年生はみんな「もう少し早くから書き始めれば良かった……!」とボヤきながら書きました。
まぁ、これは毎年のことですが。
私のゼミの今年の卒論テーマは以下のごとくです。テーマのキーワードのみご紹介。例年通り、さまざまなテーマがあります。
ワーグナー
フランスの移民・難民問題
ボーヌの施療院
キリスト教の死生観
19世紀のパリ万博
カンタベリー大聖堂
ブローデルの歴史理論
ペスト
ワイン
ビートルズ
十字軍と騎士団
サッカーの歴史
グリム童話
サン・ドニ大聖堂
イギリスの幽霊
学生の卒論が終わったと思ったら、今度は自分の論文の締め切りが年明けすぐに迫ってきました。ああ、もう少し早くから書き始めれば良かった(笑)。
テーマはスティーヴンソンの南仏旅行についてです。スティーヴンソンは『宝島』(1883年)や『ジキル博士とハイド氏』(1886年)で
有名なスコットランドの作家です。彼は1878年、28歳の時に、ラングドックのセヴェンヌ地方を13日かけて1頭のメスのロバとともに徒歩旅行をしています。
その旅行記が『旅はロバをつれて』(1879年)です。スティーヴンソンの生涯の中ではあまり注目されることのない旅行ですが、
私もたまたまスティーヴンソンがロバとともに歩いたこの地方を巡っているので(私の場合は中世のロマネスク教会巡りですが)、
彼が歩いたコースをたどり直して、その旅の追体験をしてみようというわけです。