2017年 



【2017年1月~2月】                          .
1月は、論文の締め切りが2つも重なって、なかなか大変でした。
 「南フランス・イエールの中世キリスト教聖堂」
       『文明研究』第35号、2017年3月、東海大学文明学会
  「南フランス、ヴァール県南西部の4つのロマネスク聖堂について 
           -ラ・セルからイエール、シ=フールまで」(PDFダウンロード

       『文明』第21号、2017年3月、東海大学文明研究所、安達未菜さんと共著。

この2つの論文は、ともに2016年3月に南フランスのヴァール県で行った現地調査の成果を盛り込んだものです。
南仏の
イエール(Hyères)は、現在では地中海岸の風光明媚なリゾート都市として、
トゥーロンなどと共に観光客が多く訪れるところですが、
中世10世紀~13世紀頃は、マルセイユの西およそ40キロにある
フォス=シュル=メール(Fos-sur-Mer)の領主である
フォス家が、飛び地的に支配していました。
このフォス家は、なかなか興味深い一族です。もとは本拠地のフォスの在地小豪族のような存在でしたが、
プロヴァンス伯が南フランスからイスラム勢力を駆逐するのに協力し、その恩賞としてイエールを手に入れます。
塩田開発で利益を得て「塩の領主」とも呼ばれました。
しかしフォスの一族は、上級封主である歴代のプロヴァンス伯に、ことあるごとに抵抗と服従を繰り返します。

最終的には、1257年にアンジュー家のプロヴァンス伯シャルル・ダンジュー(Charles d'Anjou)によって、
イエールの街の支配権を奪われてしまいます。
フォス家はケンカっ早い気質だったのでしょうか。もっとうまく立ち回っておれば、
みすみすイエールを手放すこともなかったのではないかと思われます。

← イエールの城塞の壁の遺構。

【2017年3月】                             .
3月は、いつものように南仏のロマネスク調査に出かけました。
今回は、ピレネー=オリアンタール県(Pyrénées-Orientales )、ロゼール県(Lozère)、
そしてヴァール県(Var)を回りました。
それぞれ、前に訪問した時に行ききれなかったところ、残したところを埋めてゆく作業が続いているのですが、
ロゼールとヴァールは今回で、現在知りうる限りでのほぼすべてのロマネスク聖堂を訪問・調査できました。
しかしながら、ピレネー=オリアンタール(ピレネー=ゾリアンタール)県は、
他の県と比べてもそこにあるロマネスク聖堂の数の多さが抜きん出ています。
とにかくすごい数があります。
2015年夏に引き続いてこの3月で2回目ですが、まだ半分くらい残っています。
へたしたらあと2年くらいはかかるかも知れません。



今回訪れたところから、廃墟系も含めて、いくつか写真だけですが紹介します。
(PO=ピレネー・オリアンタール県、LZ=ロゼール県、BR=ブーシュ=デュ=ローヌ県、VA=ヴァール県)

         
 LE PERTHUS (PO) ル・ペルテュス
       Site de Panissars
   BANYULS-SUR-MER (PO)
           バニュルス=シュル=メール
    Chapelle Sainte-Marie-des-Abeilles
   ARGELÈS-SUR-MER (PO)
          アルジュレス=シュル=メール
        Chapelle Saint-Jérôme
         
         
 LAROQUE-DES-ALBÈRES (PO)
           
ラロック=デ=ザルベール
   Chapelle Saint-Fructueux-de-Roca-Valla
   SORÈDE (PO) ソレド
     Notre-Dame-du-Château d'Ultrera
   VILLELONGUE-DELS-MONTS (PO)
 ヴィルロング=デルス=モン
        Prieuré Santa-Maria-del-Vilar


         
 FUILLA (PO) フイラ
      Église Saint-Clément
   CONAT (PO) コナ
    Chapelle Sainte-Madeleine-de-Château
   RIA-SIRACH (PO) リア=シラク
    Église Saint-André-de-Belloc
         
         
 RIA-SIRACH (PO) リア=シラク
     Église Saint-Étienne-de-Campilles
   NYER (PO) ニエール
      Chapelle de la Roca
   OLETTE (PO) オレット
         Chapelle de Cabrils


 
                    NYER/Église Saint-Just-et-Saint-Pasteur-d'En(PO) ニエール


         
 OREILLA (PO) オレイラ
       Église Sainte-Marie
   OLETTE (PO) オレット
      Evol/Église Saint-André
   JUJOLS (PO) ジュジョル
   Église Saint-Julien-et-Sainte-Basilisse
         
         
 CODALET (PO) コダレ
       Abbaye Saint-Michel de Cuxa
   LOS MASOS (PO) ロス・マソス
    Notre-Dame-du-Roure 廃墟
   LE MONASTIER-PIN-MORIÈS (LZ)
 ル・モナスティエ=パン=モリエス
     Monastère Saint-Sauveur-de-Chirac


 
 RIGARDA/Église Sainte-Eulalie-de-Villèle (PO)  リガルダ

         
 SAINT-JULIEN-DU-TOURNEL (LZ)
 サン=ジュリアン=デュ=トゥルネル
            Château du Tournel
   SAINTE-ÉNIMIE/Saint-Chély-du-Tarn (LZ)
 サン=テニミー/サン=シェリー=デュ=タルン
     Chapelle Notre-Dame-de-la-Cénaret
   SAINT-ÉTIENNE-DU-GRÈS (BR)
   サン=テチエンヌ=デュ=グレ
    Chapelle de Notre-Dame-du-Château
         
         
 SÉNAS (BR) セナ
      Chapelle Sainte-Marie de Méjean
   GÉMENOS (BR) ジェムノ
    Abbeye de Saint-Pons de Gémenos
   COLLOBRIÈRES (VA) コロブリエール
  Chartreuse de la Verne ou Église Saint-Pons

 
 BRIGNOLES/Musée des Comtes de Provence ou Musée du pays brignolais(VA) Le sarcophage de Syagria

ブリニヨル(Brignoles)の郷土歴史博物館で、この「シャグリアの石棺」(sarcophage de Syagria)を見るのが、
今回の調査旅行の主要な目的の1つでした。なので、開館する曜日と時間を事前に周到に調べて訪問しました。
入館チケットを買った受付のマダムに「私は《シャグリアの石棺》を見るために日本から来ました」と言うと、
いったい全体なんでこの石棺に興味があるのかと聞かれ、
「私は南仏のロマネスクが大好きで、この石棺はガイヨール礼拝堂で発掘された中世初期の貴重な遺物なんです」と答えると、
いたく感激され、あれこれ世話を焼いてもらったうえに、いろんなガイド類とか資料類を見せてくれ、
最後にはこの石棺の絵ハガキまでタダでくれました。
この石棺の展示室には、その他にもガイヨール礼拝堂で発見された
初期キリスト教時代の「フェニックスの墓碑」(autel-cippe paléochrétien)とか
「サン・スミアンの石版」、「テオドシウスの石碑」などが置かれており、これらがこの博物館の目玉となっています。
ガイヨール礼拝堂で見つかったこれらの墓碑や石碑の詳細については、
中川久嗣「
南フランス、ヴァール県南西部の4つのロマネスク聖堂について -ラ・セルからイエール、シ=フールまで
(『文明』第21号、2017年3月、東海大学文明研究所、安達未菜と共著)をご覧下さい。
また、それらの画像については「
南フランスの中世ロマネスク聖堂/ヴァール県北西部」をご覧下さい。

         
 BAUDINARD-SUR-VERDON (VA)
 ボーディナール=シュル=ヴェルドン
       Ancienne Prieuré de Valmogne
   MOISSAC-BELLEVUE (VA)
 モワサック=ベルヴュー
       Église Notre-Dame-de-la-Roque
   PUGET-VILLE (VA) ピュジェ=ヴィル
       Chapelle Sainte-Philomène
         
         
 LA CELLE/Abbaye de La Celle (VA)
   ラ・セル      Église Sainte-Marie
   BESSE-SUR-ISSOLE (VA)
    ベス・シュル・イソール
 Chapelle Saint-Pierre
   CARCÉS (VA) カルセス
 La Commanderie Saint-Étienne-de-Clocher
         
 LORGUES (VA) ロルグ
     Chapelle Notre-Dame-de-Benva
   BAGNOLS-EN-FORÊT(VA)
  バニョル=アン=フォレ
 Chapelle Saint-Denis
   TARADEAU (VA) タラドー
       Église Saint-Martin



今回の南仏調査旅行では、とりわけピレネー地方で、かなりハードな山道とかを歩きました。
例えばアルジュレス=シュル=メール(Argelès-sur-Mer)のサン=ローラン=デュ=モン教会などは、
クルマの進入禁止場所から、聖堂にたどり着くまで山道を往復3時間近く歩かされました。
ハイカー用の標識では「ここから歩いて2キロ、35分」とあったのに、とんでもない。
実際歩いてみたら、
片道1時間半以上かかりました。ウソばっかり。往復3時間の山道でヘトヘトになりました。

とにかく今回はそうやって山道を歩くことが多かったです。
一日に15ヶ所とか19ヶ所とかを回る日もありました。
そうやってハードに回りながら、
自分の歳と体力の衰えをひしひしと感じる結果となりました。
そして帰国した後もぐったりと重苦しい疲労を感じました。
まもなく56歳です。もう昔の若い時のようにはいきません。
次回からは、年齢相応のプランの立て方をしなくてはと思います。

         
 アルジュレス=シュル=メールの標識。
     「ここから2キロ、歩いて35分」とある。
   歩いても歩いても登っても登っても着かない。
               1時間以上かかった。
   やっとたどり着いたサン=ローラン=デュ=モン教会



さて、帰国は3月19日の21時パリ発の日本航空だったのですが、
実はその日の朝にはまだ南仏ヴァール県のドラギニァンにいました。
普通はレンタカーをエクス・アン・プロヴァンスで返してそのままエクスに一泊し、
翌日TGV(フランス新幹線)でパリに向かい、
さらにパリで一泊してその翌日の飛行機に乗るという感じなのですが、
今回は時間の節約のために、エクスにもパリにも泊まらずに、朝に南仏ドラギニァンを出て、
150キロ走ってお昼にはエクスTGV駅のハーツでクルマを返し、
そのままTGVのドゴール空港行きに乗り、
その日の夜には帰国便に乗るという強行軍でした。
もしもTGVに何かトラブル(ストライキとか故障とか事故とか)があったら、
帰国便に乗れずに一巻の終わりという
大変に危険な賭です。

なので、12時エクス発のTGVの他に、
念のための「保険」として14時のTGVも予約購入しました。
しかしそれでも不安(フランス国鉄はいつ何があるか分からない)ので、さらに
「保険の保険」として
16時マルセイユ空港発ドゴール行きのエール・フランス国内便を予約購入しました。
ネット早割で1万5千円くらいでした。

もしもエクスTGV駅に着いて、TGVがトラブルで大幅に遅れていたり、ストで運休になったりした時には、
マルセイユ空港までタクシーを飛ばしてすぐに飛行機に乗れるようにというわけです。


しかしなんと、その前日あたりからエール・フランスのストライキのニュースが伝わってきました。
そして案の定、保険の保険で買ったマルセイユ→パリの飛行機が運休になりました。
これじゃ、何のためにわざわざこの航空券を買ったのか分かりません。
全然保険になってないじゃん!

しかも、TGVまで「パリのリヨン駅工事のため、行き先がドゴール空港駅行きに変更になる」
とSNCFからメールで連絡がありました。
どうやら私がネットで買ったTGVは、もともとはパリのリヨン駅行きだったみたいなのです。
私は、行き先変更になった後の、ドゴール空港行きのチケットを買っていたので、結果的には良かったのですが、
それにしても、やはり
フランスは何があるか分かったものではありません。
出来れば、次回からはやはり飛行機に乗る前日にはパリに入って一泊して、余裕を持って帰国したいと思いました。
エクスを昼の12時発のTGVは、無事に予定通り15時過ぎにはドゴール空港TGV駅に着きました。
やれやれホッとしました。

飛行機の出発まで6時間近くありました。
それだけの時間を空港のロビーでボーッと待つのもイヤだったので、
空港の「ホテル・イビス」で
4時間だけのデイ・ユースを利用しました。
「イビス」のデイ・ユース・プランは、2時間28ユーロだったので、4時間56ユーロで部屋を使いました。
バーでビールを飲んで、部屋でシャワーを浴び、お昼寝をしました。搭乗前のちょっと贅沢なひとときでした。

     
        ドゴール空港TGV駅に到着        デイ・ユースした空港のホテル・イビス


【2017年4月~7月】                             .
4月に、いきなり歯のトラブルに見舞われました。
右下の奥から2番目の歯です。昔、神経を抜いてかぶせものをしていた歯なのですが、日頃からかかりつけの歯医者さんから
「この歯の根っこは膿が少したまってますね。いずれこれがトラブルになりますよ」と言われていたところでした。
なんとかごまかしごまかし、何年も経っていたのですが、
いよいよ爆発しました。

ものすごいズキズキズキズキ地獄が始まり、鏡で見たら、
まるでオタフク風邪のように腫れあがって、顔の形まで変わってしまいました。
で、かかりつけの歯医者さんに行こうとしたら、なんと、ちょうどその時、数日間の臨時休業。
仕方なく、どこでも良いので町田の歯医者さんを探しました。
「G歯科」という、最近急成長の歯医者さんを見つけました。
ネットで簡単に初診予約が取れます。最近はホントに便利ですね。
この「G歯科」は、若手の医師が何人もいて、毎回医師が変わります。
でも、予約は取りやすくて、とても混んでいます。
すごい今どきって感じの歯医者さんです。
ホームページを見ると、そこの女性院長は、なんだか結構軽い感じ。
昔の「キャンデーズ」のスーちゃんみたい(笑)。

とりあえず鎮痛剤と抗生剤をもらいました。
この激しい痛みがとりあえずおさまらないと、かぶせものを取って治療にはかかれないとのこと。
「えー?、この痛みをまだ耐えるんですか~?」
「そうですね~、もうそろそろ一段落つく頃だとは思うんですけどね」とは
若い女性院長(キャンデーズのスーちゃん)のお言葉。
その2日後くらいには、ようやく痛みがおさまりました。

でも、その2週間後くらいに、再び大爆発が再燃。
いきなりまた来ました。
あれ?、なんだこりゃ? えー? またズキズキ始まっちゃったよ~、てな感じでした。
またまた「G歯科」に行って、鎮痛剤(ボルタレン)と抗生剤(クラリス)です。
ズキズキズキズキの連続。鎮痛剤を飲むと、数時間は痛みが引きますが、
クスリが切れるとまたまたズキズキズキズキ。
なんともどうしようもありません。無間地獄のようです。
で、結局、とうとうその歯は抜歯することにしました。

「G歯科」の若い男性医師は、私が「抜くことに決めました」と言うと、それじゃ抜きますねと軽く対応。
「下の歯は抜くのがなかなか大変なので、
分割して抜きますね~」。
つまり「割って抜く」わけですね(笑)。「
割って抜く」というのはいかにもスゴい。
でも、かなりゴリゴリやりましたが、10分くらいで全部きれいに抜けました。
今後はこの抜けた後をどうするかを考えなければなりません。
入れ歯、ブリッジ、インプラントの3択です。


うちに
新しい子猫がきました!
なんと、私の研究室の第1期生の卒業生のツテをへて、生まれたばかりの女の子をいただけることになりました。
去年23歳で亡くなった先代が「もんぷち」だったので、「ぷち」の名を受け継いで「にゃんぷち」としました。
このネコも先代と同じくらいご長寿だとしたら、きっと私よりも長生きすることになりますね(笑)。
   


【2017年8月】                             .
 今年の夏は、昨年以来の引き続き、南フランスの東ピレネー県(ピレネー・オリアンタール県)
ならびにオード県の中世ロマネスク教会巡りです。
とにかくピレネーはロマネスク密度が異常に高い。これで3年目に入りますが、
まだ半分くらいしかカヴァーできていません。
しかも今年の夏は、ヨーロッパは記録的な猛暑でした。前半は涼しめだったのですが、
後半は日中の最高気温が40度を越えるときもありました。
ロマネスク教会巡りも命がけです。

今回の夏の南仏ロマネスク巡りは、結構、廃墟系が多かったです。
廃墟系も含めて、今回訪問調査したものの一部分のみの画像ですが、以下に紹介いたします。
 (PO=ピレネー・オリアンタール県、AD=オード県)

 
 カベスタニー/キャベスタニー(Cabestany, PO)タンパンの彫刻。東ピレネー地域によく見られるカベスタニー工房の作品。特徴的なのはアーモンドのような目。中央はキリスト、右側は被昇天の聖母マリア。

   
 Elne(PO)エルヌ  Cathédrale d'Elne    Elne(PO)エルヌ  
    
Église Sainte-Eugénie-de-Tresmals
   Taxo d'Avall(PO)タクソ・ダヴァル
   Église Saint-Martin-et-Sainte-Croix
         
   
 Villeneuve-de-la-Raho(PO)ヴィルヌーヴ=ドゥ=ラ=ラオ
  Église Saint-Julien et Sainte-Basilisse
   Caixas(PO) ケクサス 
     Église Sainte-Colombe
   Bélesta(PO) ベレスタ
 Église Saint-Barthélemy de Jonqueroles

   
 Trévillach(PO) トレヴィラック
  Église Saint-Vincent-de-Séquières
   Molitg-les-Bains(PO)モリチ=レ=バン
 Chapelle de la forteresses de Paracols
   Thuir(PO) テュイール
     Notre-Dame-de-la-Victoire
         
   
 Latour-de-France(PO)  ラトゥール=ドゥ=フランス
        Église Saint-Martin
   Calce(PO) カルス Église Saint-Paul    Fenouillet(PO) フヌイエ
  Château et Église Saint-Pierre

   
 Château de Peyrepertuse(AD)
        ペイルペルテューズ城
   Église Sainte-Marie de Peyrepertuse(AD)
  
ペイルペルテューズ城のサント=マリー教会
   Chapelle San-Jordi de Peyrepertuse(AD)
  ペイルペルテューズ城のサン=ジョルディ礼拝堂
         
   
 Cubières-sur-Cinoble(AD)キュビエール=シュル=シノブル
        Église Notre-Dame
   Rodome(AD) ロドム  墓地教会遺構    Antugnac(AD) アンテュナック
  Église Sainte-Croix de Fort de Croux

   
 Château de Queribus(AD)ケリビュス城    Bourigeole-Toumebouich(AD)ブリジュオル/トムブイック
        Chapelle Saint-Nicolas
   Cavanac(AD) カヴァナック 
      Église Saint-Pierre
         
      
                                     Carcassonne(AD) カルカッソンヌ

   
         
         
   
         

 
 




ホームページTOPに戻る 研究室日記TOPに戻る