2023年~                                     

この3年あまり、新型コロナ流行のために、まったく日本の外に出ることが出来ませんでした。
ようやくそれも下火になってきた(と言うか、下火になったことにされた)ようなので、
2023年の3月に、3年ぶりに家内とフランスに出かけることにしました。
南フランス・ロマネスク調査の再開です。

しかし3年ぶりのこの渡仏は、トラブル続きでとても大変でした。

フランス出発の約10日前に、
ノロウイルスにやられました。
東京にある某フレンチ・レストランで家内と夕食を食べたのですが、
前菜に出てきた生ガキがあたったようです。
しかも生ガキが苦手な家内の分まで食べてしまいました(↓下の写真)。
食べて2日くらいして、胃腸の調子が急に悪くなり、とうとう盛大にリバースしてしまいました。
まるで
マーライオンみたいに(笑)。
さらに38度くらいの発熱もあり、まさかコロナではと思って、かかりつけのクリニックの
発熱外来を受診してPCR検査を受けました。
結果は陰性で、医師によると「ほぼ間違いなく生ガキによるノロウイルスですね」
ということでした。

 
       前菜のウニと生ガキ        こんな感じでリバース(Wikipedia)



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今回のフランス行きの航空券は、JALのビジネスクラスを予約購入していました。
11年前の消化器の手術の後遺症のため、食事の後に非常に苦しくなることがあり、そんな時は
フルフラットで横になれる座席がありがたい。
また近年は長時間座っていると腰痛がひどくて、これもまたリクライニングやフルフラットで横に
なると痛みが軽減されるビジネスクラスの座席がとても助かります。
しかもウクライナ戦争のために、ロシアの上空を飛べないので、
パリまでの飛行時間は通常よりも3~4時間多くかかります。
なので、やはりビジネスクラスは必須でした(そのかわりヘソクリ貯金はなくなっちゃいました)。

フランス出発の何日か前に、予約状況を確認したら、
マイル(約6万マイル)を使えば、往路がビジネスクラスから
ファーストクラスにアップグレード
できることが判明しました。
ビジネスクラスのパリ往復およそ50~60万円に対して、ファーストクラスは300~350万円です。
クルマ1台買えますね。
その値段払って一生に一度乗るか乗らないか(たぶん乗らない)という価格です。
マイルも結構たまっていたので、半ば喜んで往路だけでもアップグレードしました。
家内はビジネスクラスのまま。ゴメンナサイ(笑)。

 
       ビジネスクラスのシート          ファーストクラスのシート


さてしかし、ファーストクラスの座席は、確かにビジネスクラスよりは広くて豪華で、
ラウンジも多少豪華でした(寿司カウンターとかある)。
しかし正直言って、往復350万円出すほどの差ではないと感じました。
機内食の差はあまり分かりませんでした。
アラブ系のチョー高級キャリアのように、本当に個室になっていて、
その中にはシャワールームまであります、みたいな感じではありません。
なので、実は帰りもマイルを使ったらビジネスクラスからファーストクラスにアップグレード
できると分かったのですが、それはもうしませんでした。

余計なことですが、ひとつだけ付け加えておくと、行きのファーストクラスの食事で、
「ジャン=ポール・エヴァン」のショコラ(チョコレート)がとっても美味しかったので、

CAさんに、もう1個食べたいと頼んだら「お一人様1個です」と言って断られました。
パリ往復350万円のファーストクラスなのに、チョコレートもう1個がダメなんだ
と思いました。
どうせなら最初からメニューに「このショコラはお一人様1個限定です」とでも
書いておけばいいのに。
あるいは「数に限りがあって、本日はあいにくもう在庫がなくなってしまいました」
とでも言えばいいのになと思いました。
頼んだ後で断られるというのは、
繰り返しますが、往復350万円のファーストクラスでは、文字通り
「断られた感」が強くて、
私などのアップグレード組はいざ知らず、本当に350万円払っているお客さんからは
クレームとかつかないんでしょうかね~?。

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私は今回の南仏調査では、パリに着いたら空港のホテルに1泊して、翌日ドゴール空港駅から
TGVで南仏のアヴィニヨンまで行って、アヴィニヨンTGV駅のハーツでレンタカーを借りる
予定でした。
ところがこの春は、フランスではマクロン大統領の年金改革に対する反対運動が強くて、
特に議会での強行採決を巡って、フランス全土で抗議のデモやゼネストの嵐が吹き荒れました。
そのために、事前にチケットを予約購入してあった
ドゴール空港駅→アヴィニヨンのTGV(新幹線)がストによって運休となりました。


予約購入した列車が運休になったことを知らせるこの通知(↑)が
フランス国鉄(SNCF)からメールで届いたのは羽田を出発する直前でした。
しかもパリから南仏に向かうTGVは10本に1本くらいしか走らないらしい。
そこで急きょ、パリに向かう機内からWifi(ファーストクラスは無料だった)で、
ドゴール空港駅のホテルをキャンセルし(翌日空港駅から南仏に向かう夕方までのTGVは
すべてなくなったので)、パリ市内のホテルを新たにネットで予約し、
今度はパリのリヨン駅からアヴィニヨンに向かうTGVの席を
家内の分と2席なんとか確保しました。
やれやれ。


いろいろありましたが、アヴィニヨンに着いて、TGV駅のハーツでレンタカーを借りました。
今回はシトロエンでした。
シトロエンは初めてです。オートマチック車で、
もちろん保険はスーパーカヴァー(フルカヴァー)です。
前は借りる際に現地でこのスーパーカヴァーに入ったのですが、今回は日本からネットで
予約する時にスーパーカヴァー入りのセットが予約できました。


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さてそれで、いつものようにレンタカーであちこち回り始めました。
今回実地調査する目玉の一つが、
ガール県のトレスク(Tresques)のコミューンの北東の山の上にある
サン=ピエール・ドゥ・カストル礼拝堂(Chapelle Saint-Pierre-de-Castres)
でした。
11世紀終わり~12世紀初め頃に建てられた、非常に古いロマネスク教会です。
小山の上にあって、クルマでもダートを登らないとたどり着けません。

今回はあらかじめアクセスするためのいくつかある登り道を調べていきました。
しかしいざ実際に行ってみると、このシトロエンのナビがそれとは別のアクセス道路を
示しています。
まぁいいか、ナビの言うとおりで、みたいな感じで進みました。
そうしたらいきなりそのダートが行き止まりみたいになって
それ以上進めなくなってしまいました。

何だ、ダメじゃん、ナビを単純に信じた自分が悪かったということで、
細いダートを100メートルほどバックして戻らなくてはなりませんでした。
そうしたらダートから思わず横滑りでズリ落ちてしまいました。
下の写真(↓)の赤い矢印のところ。ずり落ちたところの斜面の土の色がそこだけ
えぐれて変わっています(笑)。

しかしなんとか横転だけは免れました。
こんな所で横転なんてしたら、いったいどうやって救援を呼べばいいのか。
携帯の電波もろくに届きそうになかったし。
冷や汗ものでした。
でもどうにか窮地を脱したので、ラッキーで良かったと気持ちを切りかえて、
最初の計画通りの登り道に向かおうとしました。

しかしラッキーだったのはここまででした。
最初の計画通りの道へ向けてダートを下っているときに、
前輪右側のタイヤがパンクしたのです。
気をつけてゆっくりゆっくり走っているつもりだったのに、見事にパンクしました。
ダートって怖い。

やれやれ、今度はパンクか、と思いました。
しかし実はこれまでフランスでレンタカーに乗っていてパンクしたことは何度もあります。
そのたびにクルマに積まれているスペアタイヤに自分で交換してきました。
タイヤの交換自体は、そんなに難しいことではありません。
あーあ、またタイヤの交換かぁと思って、
山の下の県道まで下りて、クルマを駐めて
スペアタイヤが積まれているリアを開けました。
そしたら、なんと、
スペアタイヤが積まれていないではありませんか!
あとで調べたら、最近のクルマはスペアタイヤが積まれていないのだそうです。
日本でも同じだそうです。
今回のハーツのレンタカーも、スペアタイヤの代わりに
応急処置用のパンク修理キットが積まれていました。
でも、そんなの使ったことないし、使い方も全然分からない!

さて困りました。
どうにか山の下の県道までは下りたのはいいけど、そこからどうすればいいのか。
ハーツの緊急救援アシスタントに電話しようにも現在位置が分からない。
というか、そこをどう説明すればいいのか分からない。
それでも電話してみましたが、なかなかつながらない。

それでネットで地図を調べたら、その日の宿泊地でホテルのある
バニョル=シュル=セーズ(Bagnols-sur-Cèze)にシトロエンの工場がある。
しかもここから約8キロ、15分くらいだ。
そうだ、そこまで行けばきっとタイヤの交換をしてくれるだろう。
そう思って、パンクしたままバニョル=シュル=セーズまで走り始めました。

パンクしたままなので、スピードが出ません。
後には渋滞が出来てます。
県道D6086を10分ほどガタガタ走りながら
まもなくバニョル=シュル=セーズというところで、
県道の脇にクルマを駐めて、後の渋滞をいったん先に行かせました。
それでフッと道の反対側を見たら、
なんと「First Stop-Pneus Plus」というクルマの修理工場があるではありませんか。
しかも工場も新しくて、タイヤの修理もしているみたい。
日本で言うと「タイヤ館」みたいな感じ(↓)。
とりあえずそこに駆け込んでみました。


その時点のタイヤの状態です(↓)。
なんと、
タイヤのゴムの部分がほとんど消滅しています!
ホイールだけしかありません!
パンクしてそのまま道路を走るとこうなってしまう、といういい例ですね。
て言うか、よくまぁこんな状態でここまで走れたものです。


ジャン・レノに似た「First Stop」のオーナーに、これタイヤ交換できるかと聞いたら、
あいにくこのタイヤの在庫がないとのこと。
「でもレンタカーの年中無休緊急24時間対応アシスタンスに連絡すれば、
タイヤ交換してくれるだろう、それじゃあ、オレが電話してやるよ」
ということになりました。
なんて優しいジャン・レノ。

  ハーツの24時間対応緊急アシスタンスの連絡先(クルマに搭載)


さてここからが大変でした。
ジャン・レノが上記の年中無休緊急24時間対応アシスタンスに電話してくれたのですが、
まったく誰も出ない。
電話をつなげたまま呼び出しを30分たっても1時間たっても、誰も出ない。
いったいどうなってるんだ。
1時間以上たって、ようやく誰かが出ました。
それでさらに1時間後にはレッカーがタイヤ積んで来ることになりました。
「いやぁ、ムッシュ・ナカガワ、あと1時間待ってればハーツが来るぞ」
ということでジャン・レノも喜んでくれました。

ところが、1時間たっても、2時間たっても、3時間たっても来ない。
だんだん夕暮れて暗くなってきます。
ジャン・レノがぶち切れて、またまたハーツに電話。
でもやはり誰も出ない。
「ハーツは最低だ、最低だ、最低だぁ!!」とジャン・レノが叫んでました。

とうとう、その日は緊急アシスタンスは来ませんでした。
その夜は、パンクしたクルマはそこに置いたまま
ジャン・レノが私たち夫婦を、バニョルの街のホテルまで
自分のクルマで送ってくれました。
なんて優しいジャン・レノ。

結局、ハーツの緊急アシスタンスが来てタイヤの修理をしたのは、
なんと翌日の午後になってからでした。
「24時間対応アシスタンス」というのは、つまり「来るのは24時間後」
という意味だったのですね(笑)。

やれやれ困ったものです。

それでやっとタイヤの修理ができました。
ジャン・レノにはお礼の言葉もありません。
彼にとってみたら、私は単なる通りがかりの観光客みたいなものです。
その通りががりの日本人のために、何時間も電話してくれ、
辛抱強くハーツとやり合ってくれ、ホテルまで送ってくれたのです。
丁寧にお礼を述べ、帰国の際にはドゴール空港から
「あなたのおかげで旅が続けられました、本当にありがとう」と
お礼のメールを送りました。
「ムッシュ・ナカガワ、あなたのために手助けが出来てうれしい」と返信がありました。
こんなフランス人もいるんですね、
なんて優しいジャン・レノ。

  24時間後にタイヤが修理されたシトロエン


さて、そんなわけでいろいろすったもんだありました。
でもここまで苦労したのだから、当初の目的である
サン=ピエール・ドゥ・カストル礼拝堂には何としても行かなければ、
という気持ちになりました。
でも、今度は舗装された県道から少し入ったところにクルマを駐めて、
あとは片道30分近く、ダートの登り道を歩いて行きました。
レンタカーでダートは、もうトラウマになって、コリゴリです。
もう一度パンクなんかしようものなら、またハーツの緊急24時間アシスタンスを相手に
何時間も自分で戦わなければならないのかと思うとウンザリです。

  サン=ピエール・ドゥ・カストル礼拝堂までの登り道。
  これは確かに普通のクルマではちょっと無理かも。


 
   サン=ピエール・ドゥ・カストル礼拝堂、11世紀末~12世紀初め、トレスク、ガール県
       (Chapelle Saint-Pierre-de-Castres, Tresques, Gard)

   サン=ピエール・ドゥ・カストル礼拝堂(内部)



さてしかし、このシトロエンは、実はこの後もちょっとトラブル。
ロマネスク巡りでガール県の山間部の村々を回っていると、
いきなりあらゆる警告灯が点灯したのです(↓)。


特に一番左端のレンチのマーク(赤い矢印)。
フランス語の説明も表示されました。日本語訳すると、
「至急修理が必要です、修理工場に向かって下さい」だって。
ええーっ? やっとパンクが直ったのに、今度はいったい何なんだ!
またまた途方に暮れました。
ネットでシトロエンの操作について調べたら、なんとか警告灯のリセット方法が見つかったので、
その通りやってみたら、すべての警告灯が消えました。
まったく一体全体、何だったんだ?
でも返却するまで、いつまたいきなり警告灯が点灯するか、ホントにヒヤヒヤでした。

もうシトロエンはコリゴリです。
レンタカーでダートもコリゴリです。
まもなく高齢ドライバーの仲間入りになる年齢なので、フランスでレンタカー借りて運転するのも
そろそろ終わりかな、なんて思っています。

それにしても、日本には「JAF」というすばらしい組織があることのありがたさを
今回はひしひしと痛感しました。
「JAF」は全国どこでも(地域にもよるけど)、電話1本ですぐにかけつけてくれます。
実はこれまで国内で何度か「JAF」にお世話になってます。
すぐに駆けつけてくれます。
ありがとう「JAF」!

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今回は、ガール県とエロー県のロマネスク聖堂実地調査でした。
これまでで行けていなかった「取り残し」を埋める作業でした。
結構、廃墟系も多かったです。
下の写真はそうした廃墟系の1つ、
アレーグル城(Château d'Allegre)に残っている
12世紀の城塞礼拝堂の遺構です(↓)。


中世には、こうした城塞礼拝堂が多くあります。
城主とその家族や家臣たちが使っていたのでしょう。
日常的に近隣の領主との戦いに明け暮れていた彼らは、
戦闘で敵の兵士や敵の領地の農民とかをさんざん殺して帰ってきて、
自分の城の礼拝堂で「神よ、どうかわが罪をお許し下さい」と祈って、
次の日には、また殺しに出かけたのでしょうか?
このアレーグル城の12世紀の城主はフェレロル(Ferreyroles)一族とのことです。
この城主やその家族たちは、いったいどんな人たちだったのでしょう?
どんな人生を送って、そしてどんな最期を迎えたのでしょうか?
そういうことを想像するのが、いつもなかなか楽しいです。

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南仏のロマネスク調査はモンペリエの街で終わりました。
それで、モンペリエから帰国のためにパリに向かう日、
マクロンの年金改革反対運動で、
モンペリエの駅がデモ隊に封鎖されていました(↓)。


ええーっ? またTGVに乗れないのか?
と思ったのですが、なんとかホームにたどり着き、
パリ行きのTGVに乗ることが出来ました。

今回の3年ぶりの南仏調査旅行は、本当にいろいろありました。
帰国した後も、蓄積したストレスと疲労のために体調が良くない日が続きました。
もっぱら不眠と体のダルさです。
不眠は時差ボケのせいもあるのでしょうが、たっぷり2週間続きました。
体のダルさはもっとかも。
次回があるとしたら、もっとラクな計画を立てたいものです。

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