2019年~2022年
2018年度は、私は「サバティカル」(特別研究休暇)でした。
2019年の3月には、フランスから帰国する前に、パリ滞在の最後の頃に
ノートル=ダム大聖堂を訪れました。
3月17日のことでした。
ここはこれまで数え切れないくらい訪れているのですが、
いつも私が地方の田舎の小さくて地味なロマネスク聖堂ばかり回るのに付き合っている家内が、
最後は派手で大きなゴシックのノートル=ダム大聖堂に行きたいと言い、
それじゃあ行くか、ということになりました。
訪れたときは、ちょうどミサをやっていました(下の写真)。
そのおよそ1ヶ月後の2019年4月15日に火災によってヴォールトほか大きな被害を受けることになろうとは
夢にも思っていませんでした。
聖母マリアが何かを告げ知らせてくれたのでしょうか。
火災事故の前に訪れることができました。
火災の前のノートル=ダム大聖堂(2019年3月17日) |
いわゆる「コロナ禍」が始まったのは2019年の末あたりからでした。
最初の頃は、大学も授業はすべてオンラインとなりました。
アナログ世代の私は、Zoomなどを使ってパソコンにしゃべるというのがどうも苦手で、
自分のWEBサイトに授業内容をアップロードして、それを学生の皆さんに見てもらう
という形を取りました。
毎回、授業内容を作ってアップロードするのがとても大変でした。
2020年4月には、東京や神奈川にコロナによる「緊急事態宣言」が初めて出されました。
街から人が消えました。
私の住んでいる町田の街も、まるでゴーストタウンでした。
もちろん大学キャンパスからも人(学生たち)が消えました。
「緊急事態宣言」の間、どうしても必要な資料が研究室にあって、
都道府県をまたぐ移動は控えるように、ということでしたが、
それを取りに大学まで行きました(学生は入構禁止でしたが、
教職員は必ずしも禁止というわけではありませんでした)。
私はいつもクルマで大学まで通勤しているのですが、
真っ昼間の東名高速の横浜町田インター~厚木インター(日本の高速道路で一番交通量が多い区間)が、
上り線も下り線も、私の他には走っているクルマはまったくいませんでした。
前後左右、見渡す限り、1台のクルマも1台のトラックも走っていません。
当たり前ですが、こんなことは後にも先にも初めてのことでした。
先にも述べたように、大学の授業はほとんどがオンラインとなりました。
したがって、生活という意味では、ずっと自宅にいるわけです。
毎日毎日、ほとんどカラダを動かすということのない日々が続きました。
寝て、食べて、寝て、食べて。
しかも食べた後に、デザートで甘いものとか食べます(もともと大好きなので)。
チョコとか、クッキーとか、シュークリームとか、ケーキとか。
しかしこれはいけません。
2021年5月にいつものように慈恵医大で採血したら、
空腹時血糖が101,ヘモグロビン(HbA1c)が6.1 となり、
肝胆膵外科の医師は、「良くもないが、悪くもない」と言っていましたが、
これは立派な「糖尿病予備軍」です。
そもそも私は10年前の膵頭十二指腸切除術で膵臓の一部も取っていて、
普通よりは糖尿病に傾きやすいと言われていました。
てなわけで、2021年5月から、意を決していわゆる「糖質制限ダイエット」と、
昼食と夕食の後は、なるべく15~20分くらい、プチ・ウォーキング(散歩)をするようにしました。
「糖質制限」は、「糖質(炭水化物)」をすべてなくすのではなく、
通常の半分~3分の2程度に減らします。
主食であるご飯、麺類、パンの類いを減らすわけです。
その分、野菜とか肉類とかをしっかり食べます。
ご飯をガッツリ食べられない、というのは最初はなかなかツライですが、
慣れれば大丈夫です。
昼と夜は、食後に軽く歩きます。
大学にいるときは、自分がいる3号館の円形スロープを
1階から10階まで2~3回歩いて登ります(15~20分)。
自宅にいるときは、雨の日などを除いて、マンションの周りを軽く歩きます(プチ散歩)。
毎日の地道な努力が大切だと、自分に言い聞かせながら歩いています。
それを1年くらい続けたら、空腹時血糖値もヘモグロビンA1cも、
すっかり正常値に戻りました。
体重も減り、お腹まわりのメタボ数値も改善しました。
これからはなるべくこのやり方を続けようと思います。
でも時々、丼物とかをブルドーザー食いしたくなりますね(笑)。
シュークリームを、くち一杯にして食べたくなります(たまにはいいかな~)。