2018年
【2018 年1月~3月】 .
1月は、実家の京都に帰ったり、慈恵医大肝胆膵外科の診察だったり、
文学部紀要原稿の校正に追われたりと慌ただしく過ぎていきました。
2018年度1年間(つまりこの4月から1年間)の「サバティカル」(特別研究休暇)が
認められるかも知れないということで、その申請書類などの準備にも追われました。
2月終わりから3月半ば過ぎまで、いつものように南仏ロマネスク調査に出かけました。
2月27日に出発したのですが、おりからロシア方面から南下してきた大寒気団の影響で、
冬でもめったに雪が降らない南仏プロヴァンス・ラングドックでも
このときは数十年に一度という大雪になりました。
パリからTGV(新幹線)でアヴィニヨンまで下って、そこでレンタカーを借りて
その日のうちにラングドックに行く予定でしたが、大雪のニュースを知ってこれはマズイと思い、
急きょアヴィニヨン駅前の「ホテル・イビス」をネットで押さえました。
もともとはガール県ソミエール(Sommières)近くの
「シャトー・ドゥ・ポンドゥル」(Château de Pondres)にすでに3泊分予約してあり、
その3日間でソミエール周辺地域の実地調査をするつもりだったのが、
結局アヴィニヨンに1泊足止めという形になり、シャトーホテルの最初の1泊分は
不泊ということでフイにしてしまいました(3泊分の宿泊料金は先払い精算済み)。
4つ星なのに、実にもったいない。
でも結果的にそれで良かったです。その日の午後から翌日の朝にかけて、
ガール県のニームとエロー県のモンペリエの間は大雪のために交通機関、特に道路が完全にマヒし、
オートルート(高速道路)にも数多くのクルマが一晩中足止めになったとのこと。
ヘタに急いでソミエールに向かったら、どんなことになっていたか知れませんでした。
翌日の午後、ようやく雪が収まり、あちこちで除雪作業も進んだことで、
なんとかやっと、ソミエール(Sommières/Villevieille)のシャトーホテルにたどり着けました。
2晩ともこのシャトーホテルのレストランで夕食を食べましたが、1泊分をフイにしたということで、
2晩目の夕食代はタダにしてくれました。イキな計らいですね。
ニームから県道D999をソミエール方面へ | 途中で完全に道路の外に落ちたクルマを何台も見ました | シャトーホテルの駐車場は除雪されておらず大変でした | ||
ホテルの人にここまで押してもらってようやく到着 | 雪の中の Château de Pondres | 翌朝のホテルの庭。昨日の悪天候がウソのような青空 |
雪騒動のあとは、いつも通りロマネスク教会めぐりです。ラングドックとピレネー東部地域を重点的に回りました。
今回は、途中から大学院生のAMさんとKHさんの二人の女子学生が参加しました。
普通の観光旅行では絶対に行かないような田舎や山奥などに点在する11~12世紀の教会巡りです。
中には99%の確率で、恐らく日本人として初めてそこを訪れるというような教会もあります。
大学院生としては、それはそれで悪くない経験ではないかと思われます。
以下、GA=ガール県、HL=エロー県、AD=オード県、PO=ピレネー・オリアンタール県です。
Ste-Croix-de-Quintillargues(HL) サント=クロワ=ドゥ=カンティラルグ Église de l'Exaltation-de-la-Ste-Croix |
Laroque(HL)/ラロック Chapelle St-Jean |
Brissac(HL)/ブリサック Église St-Nazaire | ||
St-Jean-de-Buèges(HL) サン=ジャン=ドゥ=ブエージュ Église de la Nativite-de-St-Jean-Baptiste |
Brissac(HL)/ブリサック St-Etienne-d'Issansac | Sauteyrargues(HL)/ソテラルグ Notre-Dame-d'Aleyrac |
Salinelles(GA)/サリネル Chapelle St-Julien | Notre-Dame-de-Londres(HL) ノートル=ダム=ドゥ=ロンドル Église Notre-Dame 半円形の後陣が2つ並ぶ比較的珍しい形。 |
St-Jean-de-Cuculles(HL) サン=ジャン=ドゥ=キュキュル Église de la Nativité-de-St-Jean-Baptiste |
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Montarnaud(HL)/モンタルノー Chapelle de Notre-Dame-du-Fort |
Gignac(HL)/ジニャック Chapelle St-Martin-de-Carcares(遺構) |
Argelliers(HL)/アルジュリエール Église St-Etienne |
Puechabon(HL)/プシャボン Église St-Sylvestre-des-Brousses |
Puechabon(HL)/プシャボン Église Notre-Dame |
St-Jean-de-Fos(HL)/サン=ジャン=ドゥ=フォス Église St-Genies-de-Litenis |
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Le Pouget(HL)/ル・プジェ Église St-Jacques ロマネスク特有のパルメット文様 |
Aniane(HL)/アニアーヌ Chapelle des Penitents |
Canet(HL)/カネ Ancienne église St-Martin (塔と後陣の土台のみが残る) |
Paulhan(HL)/ポーラン Église Notre-Dame-des-Vertus |
Ceyras(HL)/セラス Église St-Pierre-de-Leneyrac(中世の塔と) |
Aumelas(HL)/オムラス Église St-Pierre-et-St-Paul de Cabrials |
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Gigean(HL)/ジジャン Ancienne abbaye de St-Felix-de-Montceau ゴシックの聖堂とロマネスクの聖堂の遺構が並ぶ |
Gigean(HL)/ジジャン Ancienne abbaye de St-Felix-de-Montceau ロマネスク期の聖堂の後陣と身廊の遺構 |
Pignan(HL)/ピニャン Abbaye de Vignogoul(ヴィニョグール修道院) |
Murviel-les-Montpellier(HL)/ ミュルヴィエル=レ=モンペリエ Église St-Jean-Baptiste |
Aumelas(HL)/オムラス Château d'Aumelas Chapelle Saint-Sauveur(遺構) |
Aumelas(HL)/オムラス Château d'Aumelas Église Notre-Dame |
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↑ このオムラスの城には、クルマの進入禁止場所から 山道を歩いてたっぷり小一時間かかりました。 しかも空模様が怪しくなってきて、帰りは小雨の中を急いで クルマまで戻りました。シャトーと言っても、今残るのは、 城塞教会であるサン=ソヴールの建物の遺構だけです。 |
↑ オムラスの城のすぐ隣に、13~14世紀の ノートル=ダム教会があります。 |
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Aumelas(HL)/オムラス Église St-Martin-de-Cardonnet |
St-Pons-de-Mauchiens(HL)/ サン=ポン=ドゥ=モシアン Église |
Meze(HL)/メズ Chapelle Notre-Dame-de-Pallas(遺構) |
【2018 年4月~2019年3月】 .
2018年度は、いわゆる「サバティカル」(特別研究休暇。東海大学では「特別研究期間」という)のおかげで、
1年間、大学はお休みさせていただきました。
大学の「サバティカル」というと、通常は外国の(あるいは国内の)どこか特定の研究機関(大学や研究所)に受け入れてもらい、
そこに形の上は籍を置きながら研究活動を行う、というのが普通です。
私の場合は、やはりフランスということになります。
しかし私の場合は、6年前に消化器の腫瘍摘出のために受けた「膵頭十二指腸切除術」のために、
その後も3ヶ月に一度、慈恵医大病院に通院して採血と投薬、そして半年に一度は腹部MRI検査を受けます。
膵酵素の薬(リパクレオン)その他の消化器系のクスリは、1年分もらって外国に持って行くということがなかなか難しいので、
どうしても3ヶ月ごとに処方箋をもらって入手しなければなりません。
また膵臓の膵管が細いため、将来膵臓がんの心配もあり、それを定期的にチェックするために腹部MRIは欠かせません。
ですので3ヶ月に一度は帰国する必要があります。
このようなわけで、私の場合は大学に特別に願い出て、1年間特定の同じ機関に所属するのではなく、
3ヶ月ごとに居場所を変えて、複数の場所で研究・調査などを行うことを認めていただきました。
そこで次のようなプログラムを組みました。
そして各地方で、いつものロマネスク教会の実地調査と研究です。
1回目(2018年5~7月)モンペリエを中心としたラングドック
2回目(2018年9~11月)ディジョンを中心としたブルゴーニュ、そしてオーヴェルニュ
3回目(2019年1~3月) エクスを中心としたプロヴァンス
それぞれの滞在の間に帰国して、慈恵医大病院で検査・診察・投薬です。
3回もフランスと日本の間を往復します。しかも家内も一緒です。
家内は私と一緒にフランスに滞在するために、それまで勤めていた都内の某女子大の事務職の仕事を辞めました。
そろそろ辞めてもいいかなと思っていたところだったので、ちょうどよい機会でした。
二人で1年に3回もフランスと日本を往復するというのは、なかなか大変です。
何よりも飛行機代がバカになりません。
しかしこればかりはどうしようもありません。病院には行かなくてはならないし、
かと言ってフランスの病院にはかかりたくないし(笑)。
しかも何ヶ月に一度かは、突然胃腸の調子が悪くなったりします。
そんなときには、ますますフランスの病院は御免被りたいものです。
さてしかし、冗談ではなく本当に2回目の前に急に体調が悪化しました。
一日中、消化液が胃や食道に逆流してくるようになりました。
私は手術によって、胃の下半分弱を切り取っています。つまり出口の幽門がないのです。
腸液や胆汁その他の消化液が、何の関門もなくダイレクトに逆流してくるのです。
日頃はあまりないのですが、時々、突然それが始まります。
たいていは水を大量に飲んで、そうした消化液を押し流すとなんとか収まります。
しかし、いくら水を飲んでも収まらないときがあるのです。
逆流してきた消化液は、胃や食道の粘膜を荒らすだけ荒らしてしまうようです。
こうなると、非常につらくて苦しくなります。何も食べられなくなります。
このときは2週間くらい悪い日々が続きました。
なので、2回目の渡仏は予定を大幅に短縮せざるを得ませんでした。
10月にはかなり体調も回復したので、10月後半~11月は、日本国内において研究調査ということで
九州のキリスト教遺産を訪れることにしました。
平戸、長崎、島原、五島列島、熊本、天草などです。
1回目のモンペリエ滞在の時は、モンペリエ周辺地域、ラングドック各地とアヴェロンにも足をのばしました。
2回目のエクス・アン・プロヴァンス滞在の時には、コート・ダジュールの海岸部および山岳地方も回りました。
おかげさまで、プロヴァンス、アルプ、コート・ダジュールや、ラングドックなどの中世ロマネスク教会で
これまで行けていなかったところもずいぶんカヴァーすることが出来ました。
その成果は、おいおい時間をかけて発表していきたいと考えています。
(定年までに間に合うかどうかが心配ですが……)