2011年9月/スペイン サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼の旅
             
ヨーロッパ実地研修の記録

  
                  フランス・スペイン文明紀行
          ロマネスクの星の道・サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼路をたどる旅」

                                    




 2011年9月4日~15日の11日間、ヨーロッパ文明学科(歴史学科西洋史専攻との共催)の「ヨーロッパ実地研修」の引率として、南フランスとスペインに行ってきました。
 旅は南フランスからピレネー山脈を越えて、中世の巡礼のようにサンティアゴ・デ・コンポステーラまで行くというもので、
途中、巡礼ルート沿いにあるいくつかの中世ロマネスク教会やゴシックの大聖堂などを訪問しました。
           

 サンティアゴ・デ・コンポステーラは、スペインの北西の端にある街で、中世にはローマ、エルサレムと並ぶヨーロッパの3大巡礼地のひとつでした。
ここには、イエス・キリストの十二使徒のひとり、聖ヤコブ(スペイン語で「サンティアゴ」、フランス語で「サン・ジャック」)の墓があります。

 その墓が9世紀に見つかって以来、フランスをはじめヨーロッパ各地から多くの巡礼者を集め、最盛期の12世紀には年間50万人もの巡礼がここを訪れました。
聖ヤコブとサンティアゴへの巡礼は、711年からイベリア半島を支配していたイスラム勢力からスペインを取り戻す運動、
すなわち「レコンキスタ」の精神的な後ろだてにもなりました。

 またクリュニー修道会などが中心となって、巡礼たちの保護と歓待のために、宿泊所、救護所、施療院(オスピタル)などが整えられました。
さらに巡礼路に沿って、数多くの修道院や教会が建設され、今でもそこにすばらしいロマネスクの建築、彫刻、装飾などが残されています。

 今回の研修旅行では、南仏のトゥールーズに入り、有名な中世城塞都市カルカッソンヌ、近代の巡礼地ルルド、アンリ4世誕生で知られるポーなどを訪れた後、
バスでピレネー山脈を越えて、巡礼路をサンティアゴまで行きます。中世の巡礼のように歩いてルートを踏破するのではなく、バスで走り抜けるといったものですが、
普通の観光ツアーでは行かないようなところばかり回るので、それなりに価値のある研修内容であると思われます。

 私たちのグループは、参加学生40名で、うち女子学生が33名でした。さらに私と学科事務室のYさん、添乗員のワタナベさんの計43名で、
バス1台になんとか収まる規模でした。


9月4日(火)                             
 
朝の8時前に成田空港に集合。ドイツ・ルフトハンザ航空にのって、フランクフルト経由で南仏のトゥールーズに飛びます。ルフトハンザ航空の
 カウンターでチェックイン。搭乗券(ボーディングパス)をもらい、スーツケースも預けました。
 さあこれから手荷物検査とパスポートコントロール(出国検査)通っていざ飛行機に搭乗だ、というところで大トラブルが発生しました。
 なんと、今から乗るはずのルフトハンザ航空「LH711便」(全日空との共同運航便)が、
いきなり突然「欠航」になってしまったのです!!


搭乗直前にいきなり「欠航」表示が出た出発掲示板

 荷物も預けて、搭乗券ももらっているというのに! 飛行機だってすぐ目の前にいるのです。学生たちも「ええーっ、なんでぇー???」と口々に叫んでいます。
 さあ、それからが大変でした。
 まる一日延期して、翌日の出発になることは覚悟しました。ヘタをしたら今回の研修旅行自体が中止の可能性も考えました。
 しかし、ここからわれわれのグループの添乗員、イーエスツアーの渡辺さんの奮闘が始まりました(下の写真左端)。
 渡辺さんのルフトハンザとのさまざまな交渉の結果、43名全員が、約1時間半後に出発するエール・フランスに振り替えられたのでした。
 フランクフルトではなく、パリ経由でトゥールーズに向かうことになりました。
 それにしても、パリ行きとトゥールーズ行きのそれぞれに、よくまぁ43名分の座席があったと思います。
 (ひょっとしたら、エール・フランスの方で、われわれ43名のためにはじき出された個人客とかいたかも知れません。だとしたらゴメンナサイ)。
 とにもかくにも、やれやれでした。


突然欠航に対応中の渡辺さん[左端]と、不安な学生たち


 ルフトハンザの欠航は、結局、客室乗務員の待遇改善要求のストライキだったそうです。困ったものです。
 ストをやるなとは言わないけれど、国際線を巻き込んでやらないで欲しいです。
 思わぬことでパリ経由になりましたが、学生たちは乗り換えのシャルル・ドゴール空港の中だけでも「パリ」を経験できました(笑)。
 そしてエール・フランスの国内便でトゥールーズに到着しました。

 ルフトハンザの欠航騒ぎや、パリ乗り換えでかなりくたびれてトゥールーズ空港に着きましたが、ここでまたまたトラブル発生です。
 今度は、さっき大奮闘してくれた
添乗員の渡辺さんと私の、二人の荷物(スーツケース)が出てこないのです!!
 どうやら、ルフトハンザからエール・フランスに急きょ振り替えたため、そのドタバタの中で荷物がどこかに行ってしまったようです。
 困りました。
 とにかくトゥールーズ空港の荷物カウンターで「ロスト・バゲッジ」の手続き。カウンターのマダムによると、荷物は翌日には着くだろうとのこと。
 でも、結局荷物が手元に届いたのは3日後だったのです。私はその日の夜は服を着たままホテルで寝ました。
 翌日渡辺さんとスーパーに下着やら寝間着やらを買いに行かなければなりませんでした。
 おまけに、私は、手術のあとのクスリもスーツケースの中でした。

 まぁでも、よく考えたら、これが学生の荷物ではなくて、たまたま私と渡辺さんの荷物で良かったと思います。
 特に、届かなかったのが女子学生の荷物とかだったら大変でした。そうでなかったのが不幸中の幸いですね。


【9月5日(水)】                          
 いろいろあったけれど、研修の始まりです。この日は、ホテル(トゥールーズ空港の近く)から、チャーターバスで日帰りのカルカッソンヌ訪問です。
 オートルート(高速道路)を片道2時間弱。
カルカッソンヌ(Carcassonnes)は、もともとは古代ローマ時代の要塞にまで歴史をさかのぼる中世の城壁都市で、
「シテ」と呼ばれる山の手を城壁が二重に取り囲んでおり、その中には中世の伯爵のシャトー、ロマネスク&ゴシック時代の教会、中世時代の街並などを見ることが出来ます。


カルカッソンヌの遠景。こうして見ると、いかにも中世の城という感じです。


カルカッソンヌのメインゲートである「ナルボンヌ門」にて。
        

   カルカッソンヌでお昼を食べた後、トゥールーズまで戻り、有名なサン・セルナン教会を見学しました。トゥールーズは、中世には、これからたどるサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路のフランス側の重要な中継地点で、サン・セルナン教会は、押しかける巡礼たちでずいぶんとにぎわったようです。
 サン・セルナン(聖セルナン)は、3世紀中頃のトゥールーズ司教で、ローマ皇帝崇拝を拒んでイエスの教えを説いたため処刑されました。
 教会は1080年頃から建築開始され1118年に完成。全体がこの地方の赤いレンガで作られていて、八角形の鐘楼が特徴的なロマネスクの大きな聖堂です。
 外部ではミェジュヴィルの門、内部では内陣主祭壇の外側の「栄光のキリスト」の彫刻が有名です。

この日は、夕方トゥールーズでの自由時間を過ごし、夕食は各自が自由に取るということで、一日を終えました。


【9月6日(木)】                               
 快晴。この日は、トゥールーズを出た後、ルルドとポーを訪れました。
 
ルルド(Lourdes)は、言わずと知れた「奇跡の泉」で有名な、現代の巡礼地です。
 19世紀半ばのこと、この村に住む少女ベルナデットの目の前に、突然聖母マリアが出現しました。
 その時にマリアが示した洞窟の泉からわく水には、あらゆる病気を治癒する力があると信じられ、それ以来、巡礼たちがここを訪れて、その水を飲むようになりました。
 街の売店には大小さまざまなペットボトルやポリタンク、小瓶などが売られていて、その中にルルドの水を入れて持ち帰ります。
 私も手術したお腹が早く良くなるように、この泉の水を飲みました。
 そのおかげでしょうか、今回のスペイン滞在中は、比較的カラダの調子は良かったと思います(帰国したあとの方が、調子が悪かったくらい)。
 聖母マリア様どうもありがとう、っていう感じでした。

ルルド。聖母マリアの洞窟と奇跡の水の泉はこの右手。


 次に訪れた
ポー(Pau)には、フランス国王でブルボン王朝の始祖、アンリ4世が生まれた城があります。
 城の中には、まだ赤ちゃんだった後のアンリ4世が入れられていた「ゆりかご」(ウミガメの甲羅をひっくり返した使った)が展示されています。
 またフランスのお城見学はいつもそうですけど、内部は王侯貴族の部屋の連続です。とにかく行っても行っても同じような部屋が続きます。
 最初のうちはていねいに見て回るのですが、そのうちだんだん疲れてきて、適当にすっ飛ばして過ぎていくようになってしまいます。

 しかも、ここの城内の見学は、フランス語によるガイドツアーしかなかったので、私がガイドさんの話をすべて学生たちに通訳して話さなければならず、とても疲れました。
 英語ガイドがないというのは、このての有名な城ではちょっと珍しいかも。
 この日の宿泊は、ポーの街の郊外にあるホテル・メルキュール。ここでようやく、私と添乗員の渡辺さんの荷物が届きました。
 私たちの荷物は、
なんとミュンヘンで見つかったそうです。届くのがあと一日遅れていたら、私たちはもうピレネーを越えてスペインに行ってしまうので、
 ヘタをしたら次に荷物を受け取るのは旅行最後のマドリードあたりになっていたところです。
 それではなんのためにスーツケースを持って行ったのか、分からなくなるところでした。 


ポーの城。この日は陽射しが強くてかなり暑かった。


【9月7日(金)】
                                       

 快晴。ポーを出て、いよいよピレネー山脈を越えてスペインに入ります。ピレネー越えは、本来なら旧道をくねくねと登って、ソンポール峠を越えるのがまっとうなやり方なのですが、
 この日はまだこのあといくつもロマネスクの修道院を訪れなければならないのと、バス酔い女子学生続出という事態を避けるために、峠の下のトンネルを通ってスペインに入りました。
 
サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院(Monasterio de San Juan de la Pena)。スペインに入って最初に訪れたのがこの修道院です。
 建設は9世紀から始まり、11世紀に改築され、クリュニー様式が用いられました。建物は巨大な岩場の下に2層に展開しています。
 とても有名なのは、内庭回廊(Claustro)で、きわめて独創的な柱頭彫刻が並びます。登場人物の目は大きなアーモンド型です。
 柱頭彫刻は聖書を題材にしたもので、「アダムとイヴ」「受胎告知」「キリスト降誕」「最後の晩餐」「カナの婚宴」などなど。
 回廊と同じフロアに、上部教会(Iglesia Alta)があります。11世紀末に完成したもので、石造りの半円筒ヴォールトのついた身廊の奥に大小の三つの後陣が並んでいます。
 それぞれに小円柱のアーチが連なっていて、なんと言うか、古いロマネスクの圧倒的な石の質量感と時間の堆積感(歴史の古さ)が感じられ、実にすばらしいです。

         
サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院   内庭回廊   柱頭彫刻。「ヨセフへのお告げ」


サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院、「上部教会」の後陣

 レイレ修道院(Monasterio de Leyre)。この修道院の教会は、1057年に完成し、地下礼拝堂ともどもスペインにおけるロマネスク美術の最初期の例に数えられます。
 11世紀初頭にはナバラ王国のキリスト教信仰の重要な拠点でした。サンチェ3世大王以下、ナバラ王国の王たちの霊廟でもありました。
 修道院自体は19世紀に放棄されましたが、1954年にはシロスから再びベネディクト会修道士が入っています。
 教会は同じ高さの三つの後陣が高く建っています。実にシンプルで美しい概観です。四角い塔がバックに見えます。

 このレイレ修道院で見るべきは、なんと言っても、地下礼拝堂(Cripta)です。11世紀に上部ロマネスク教会の基盤として建てられましたが、
 この地下部分の方が年代的には古いそうです。まるで石の洞窟のように、高さの低いがっしりしたヴォールトが圧迫感をもって積み重なっています。
 ヴォールトを支えるアーチや柱頭部分が、大変に低い位置まで下りてきています。この重圧感は独特の世界を作り上げています。
 
まるで古代ローマ時代の重たくて分厚い建築物のようです。しかしそれと同時に柱頭彫刻の不思議な植物文様は、
 この石の分厚い世界とともに、キリスト教が入る前の、古いヨーロッパ文明の古層、あるいはケルト時代の深い森の神秘、そういったものを連想させます。
 今回のスペイン実地研修で、このレイレ修道院地下クリプトの世界は、ワタシ的には最も心密かに期待していたところで、まさにその期待を裏切らない体験となりました。
 このクリプトの上には、三廊式のロマネスク様式の内陣を持つ教会があります。大変に味わい深い内陣です。中央の身廊が、両側の側廊よりも少し広くなっています。
 教会の西半分は13世紀にシトー修道会によって改築された身廊です。
 教会の西ファサードは彫刻装飾が豊かで、「美麗門」(ポルタ・スペシオーサ/Porta Speciosa)と呼ばれています。
 タンパンの中央にキリスト、その右が聖母と聖ペテロ、左が聖ヨハネ。タンパン彫刻の外側にはパルメット植物文様。
 さらにその外側にはさまざまな姿をした怪物や空想上の動物たちがぎっしりです。

 
           
レイレ修道院・背の高い後陣   ロマネスク様式の内陣   レイレ修道院地下礼拝堂(Cripta)11世紀   地下クリプトの祭壇部分と柱頭彫刻


 この日は、
パンプローナ(Pamplona)に宿泊しました。夕食は各自が自由にということにしましたが、
 私はサン・ファン・デ・ラ・ペーニャとレイレの二つの修道院で心も体も満腹状態になり、夕食はホテルのカフェテリアで何人かの学生たちと簡単に済ませ、
 パンプローナの街には結局出かけませんでした。



【9月8日(土)】                              
 この日は、パンプローナからブルゴスまで行きました。
 途中、
サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院(Monasterio de Santo Domingo de Silos)に寄りました。
 ここはもともとあった西ゴート時代の修道院を、修道士ドミンゴが11世紀(1041年~)から再建したものです。
 19世紀に一時放棄されますが、その後再興され、現在はベネディクト会修道士が運営しています。
 内庭回廊(Claustro)は、スペインで最も美しいと言われます。2階建ての回廊が四角い庭を取り囲んでいます。有名なのは一階部分の角柱と列柱の柱頭彫刻です。
 いわゆる「シロスの名匠」(11世紀後半)の手によるものです。
 「キリスト降架」「キリストの埋葬」と「キリストの復活」「エマオの巡礼」「トマスの不信」などがありますが、それ以外にも、さまざまな形をした動物、鳥類、植物などの彫刻が見事です。
 私たちがシロスを訪れたとき、その教会ではちょうど結婚式が行われていました。私たちも、地元の人びとと共に、新郎新婦を祝福しました。

 シロスで昼食後、
ブルゴス(Burgos)に入りました。
 ブルゴス大聖堂(Catedral)は、セビーリャ、トレドのものに次いで、スペイン第3の規模を持つゴシックの大聖堂です。着工は1221年で、フェルナンド3世の時のこと。
 ドイツやフランスのゴシック様式とともに、イスラム装飾の影響も色濃く見られます。その装飾は、過剰とも言えるもので、ずっとこれまで見てきたロマネスクの世界との違いに驚かされます。
 内部には、いくつもの豪華な礼拝堂、16世紀の木造彫刻のすばらしい聖歌隊席、黄金の階段、祭壇を囲む周歩廊、レコンキスタの英雄エル・シッドの墓などなど、
 ブルゴス大聖堂は、教会であるとともに、まるで巨大な美術館のようでした。

          
サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院   内庭回廊角柱の彫刻「トマスの不信」   ブルゴス大聖堂



【9月9日(日)】                             
 この日はブルゴスからフロミスタを経由してレオンまで行きました。
 
フロミスタ(Fromista)は、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の重要な中継地点のひとつです。
 ここのサン・マルティン教会(Iglesia de San Martin)は、1066年に着工、1100年頃に完成したもので、カスティーリア地方のロマネスク建築の金字塔と言われています。
 概観は、きれいな切石によるシンプルかつ優美で、その白い石がスペインの青い空をバックに輝くようです。
 西正面には左右に細い塔がつけられています。持ち送りや窓の縁の柱頭部には無数の彫刻が見られます。
 内部は「完璧なロマネスク空間」などと言われるほど、このうえなく美しいロマネスク教会の典型的な世界を味わえます。
 ヴォールトや柱、そして窓のうっとりするような半円形アーチ、効果的に配された柱頭彫刻。
 そこに表現されたシンプルかつ奥深いロマネスクの世界は、壮大で効果満点のゴシックとは全然別のもので、いつまでも心の中に余韻を残してくれます。

フロミスタのサン・マルティン教会

         
軒持ち送り彫刻   フロミスタ教会・内部   「結婚」の柱頭彫刻


 いつまでもフロミスタの教会にいたかったのですが、時間が許しません。私たちはレオンに向かいます。
 
レオン(Leon)は文字通りレオン王国の首都でした。11~12世紀にはキリスト教スペインで最大の都市でした。
 レオン大聖堂(Catedral)は、13世紀半ば~14世紀末に建設。ブルゴスの大聖堂ほど壮麗ではないですが、端正な概観で、内部は身廊を照らし出す美しいステンドグラスが見ものです。
 125枚のパネルと57枚の円形モチーフからなります。その他にもルネサンス様式の聖歌隊席、15世紀の祭壇画のある華やかな主祭壇、周歩廊とトランセプトにある数々のゴシック様式の墓碑、
 内庭回廊などが知られています。


フロミスタ → レオン

         
レオン大聖堂   レオン大聖堂のステンドグラス   レオンで食べたチョコトルテ


【9月10日(月)~11日(火)】                     

 昨日は日曜日だったので、レオンで有名な
サン・イシドロ教会(Basilica de San Isidoro)は、この日の午前中に見学しました。
 特に有名なのは、「王家の霊廟(Panteon Real)」です。この教会が作られた11世紀当時のものが残っている部分で、カスティーリア地方特有の柱頭彫刻と、
 それが支える天井ヴォールトに描かれたフレスコ画(12世紀)がすばらしい。「荘厳のキリスト」を中心にして「キリスト降誕」や「羊飼いへのお告げ」「幼児虐殺」「最後の晩餐」など、
 新約聖書に出てくるさまざまなモチーフが、色鮮やかに描かれています。
 ただ、残念なことにこのフラスコ画は、写真撮影禁止であるとのこと。フラッシュ無しでもダメだとか。売店の絵はがきを買えってことでしょうか。

レオンのサン・イシドロ教会

 この日の午後は、レオンからいよいよ今回の旅の目的地である
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)に到着です。
 到着した日は、ホテルに入って夜まで自由行動にし、夕食は全員で市内の魚介レストランで打ち上げ会をしました。有名な大聖堂は翌日11日に全員で訪れました。
 エルサレム、ローマに次ぐ世界第3の巡礼地です。現在の大聖堂は聖ヤコブの墓の上に建てられていて、11世紀のロマネスク期から建設が始まり、次々と建て増しされたもので、
 外観は16~17世紀のバロック様式の傑作です。荘厳さと躍動感があり、大きな2本の塔が高揚感を与えてくれます。



 今回は残念ながら、西正面ファサードを入ったところにある「栄光の門」は修復中でよく見ることが出来ませんでした。
 本来は栄光のキリストを中心としたヨハネ黙示録の世界が見れたはずでしたが、「またもう一度来なさい」という神の啓示なのでしょうか。
 大聖堂の中は、さすがに見学者・巡礼者で一杯です。学生たちと内陣の中央祭壇の裏から、聖ヤコブの像に触れに行きました。
 この像の背中に触れたりキスするのが、巡礼のしきたりなのだとか。それ以外には「宝物庫」「地下クリプト」「内庭回廊」「銀細工の門」などを見ました。

         
大聖堂中央祭壇の聖ヤコブ像   銀細工の門   カフェにいた中世の(?)おじさん


【9月12日(水)~13日(木)】                       

 9月11日の夜、サンティアゴ・デ・コンポステーラから夜行列車に乗りました。これまでの疲れがたまっていたからか、結構寝られて、起きたらマドリード到着30分前でした。

         
夜行列車でマドリード到着   王宮   プラド美術館


 マドリードでは、全員で王宮とプラド美術館に行きました。プラド美術館は、世界的にも有名な美術館ですが、パリのルーブル美術館などに比べると規模も小さく、
 こじんまりとまとまっていてなかなかよいミュゼです。学生たちはベラスケスやゴヤなどの有名どころを鑑賞しました。夕方からは各自で自由行動としました。
 今回のスペイン旅行では、治安の点でこのマドリードを一番心配していたのですが(スリやかっぱらい)、幸いにも何ごともなくすみました。
 マドリードには2泊3日滞在しました。そのうち1日は、全員で
セゴビアに往復しました。セゴビアで有名なのは、なんと言っても古代ローマ時代の水道橋です。
 紀元1世紀、トラヤヌス帝の時代に建造されたもので、15キロ離れた水源からセゴビアの街に水を運んでいました。
 セゴビア水道橋の部分は全長728メートル、最も高いところで28メートルの高さかあります。2段のアーチ構造で、今日でも一番上の部分に水道管を通して使用しているとか。
 セゴビアでは、あとはディズニー映画のモデルにもなったお城(アルカサル)を見学しました。

     
セゴビア、古代ローマ時代の水道橋   アルカサル(城塞)


【9月14日】                               
 朝の7時過ぎにマドリード空港出発の飛行機で帰国の途に着きました(ルフトハンザ航空なのでドイツのミュンヘン経由)。
 早朝便ということで、朝の3時過ぎには起床です。まだ暗いうちにホテルから空港に向かいました。
 その際、男子学生の一人が、これから帰国のために飛行機に乗るというのにホテルの部屋で「
パスポートがない!」と騒ぎだし、一時はどうなることかとヒヤヒヤしましたが、
 無事にスーツケースの奥から出てきて見つかりました。いやぁ、最後まで気が抜けません、ホントに(勘弁して下さい)。

 さらにマドリード空港でルフトハンザにチェックインする際、われわれのグループの名前リストのうち、
アルファベットの最後の5名の予約がすっ飛んでいました。
 名前の頭文字が「W」とか「Y」とかの人ですね。どうやら、今回日本を出発するときのルフトハンザ航空のストによる一連のキャンセル騒ぎの余波だったようです。
 これまたいったいどうなることやらと思いましたが、なんとその場でミュンヘン経由成田までの5名分の予約を入れるということで乗り切りました。
 またまたイーエスツアー添乗員のワタナベさんの大活躍でした。
 9月15日、成田に到着。実にいろいろありましたが、全員無事に今回のヨーロッパ実地研修を終えることが出来ました。
 術後5ヶ月の私も、なんとか引率を終えることが出来ました。術後後遺症のために毎日下痢でしたが、朝食を早めに食べて、
 あとはホテルの部屋に1時間くらいじっとしているとトイレ・タイムです。これで毎日乗り切りました。
 長時間バスに揺られるのも、手術のキズには結構きつかったですが、まあ何とかガマンしました。
 今回の研修旅行は、カラダ的にはしんどかったですが、精神的には充実していました。
 何よりも学生のみなさんが無事に帰国できて、ホントに良かったと思います。



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